願望、欲望はかなえられるためにある | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

タイトルの通りだが

まさにそうなのかなと。


仮説を立ててみたのだけど
やはりそうみたいだ。


満たされているその気持ちが
私の曼荼羅のどこかにあって
その気持ちを半端にひろってきて

分離した現実にいる場合に
違和感を感じて
それを得てない気持ちになり
ひどく満たされない感覚になる。


そもそもは
自分が持ってる感覚で
満たされている感覚だから

必ずそれは
そこに気付けば満たされるのである。

どっかの次元では
叶ってるのだから
当たり前。

分離状態からいったん
合一状態に自分を持ってって
さらにその部分に移動すればいいのだ。
そっから分離してその感覚を味わうもよし
合一のままに過ごすもよしだ。


でも分離してたほうが
味わいがおもしろくかんじるかもしれない。

いずれにしても
自分の中にもともとある感覚で
不足感を起こすのは

まさにこっけいな話なのだが
人はみんなこれをしてるんだ。

わかってて。
わざと、楽しむために。

情報を半端にとってきて
分離して
この感覚満たされてないない!って。



おもしろいなあ。人間はどこまでも自分の中で遊ぶのだ。

どこまでも外にいけない。

ずっと中だ。