無いから語る | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

釈迦に説法という言葉があるが

前の職場の
おじいさんがよく使っていた。

自分の中にある
中途半端な情報を
その道の専門家に
大胆にも知ったように話し
専門家に引かれるパターンを
数々見てきた。

おじいさんは、あまりそれを気にせず
自分が持ってる知識を話したいという
欲望を満たすのみで
自己満足であった。
あのリアクションには何も思わないのか?という
KYぶり。

実に
どうでもよい話だが

同じ組織の事務局の人間として
恥ずかしい思いは数々持った。

そして今
まさに
私に向けての釈迦に説法が
たまに相方さんより行われる。

彼も
私に言ってんじゃなくて
自分に言ってる系だ。

そのあとで
あ、monaさんにはそんなこと言わなくても
わかってることでしたね、と謝るときもあるが

うーむ、恥ずかしくないのかなあと
ふと感じる。

多分、男って
語り好きなのか?
いやいや、多分
たまたま、彼らが自分にないものを
手繰り寄せて理想で話しているのか。


違和感はそこである。
私は自分にすでに当たり前にあることを言われるので
あたまはハテナだらけになる。

人の背景を見て
判断しないだとか
上司が複数の面談は
1人が横に座るとか


当たり前すぎる。
なぜ、ピックアップして
時間をそこに費やして語るのか?

そして、語る彼が気持ちよさそうだが
しかし、私は無駄な時間である。
まあ、普通にうんうん、と淡々と聞くが。

自分に装備まだされてないのかもしれない。
彼は、理想でかたるが
なかなかそれができない、
だから意識にいつまでも顕在化していて
それを語るのかもしれん。

力みが多いなあ。本当に。


人を信頼してないのかなあ。
かもしれない。
なぜなら彼自身が、自分自身を信頼してないから。