両親の支え | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

はて
さっき
家入レオさんのブログを読んだ。

トピックスに上がっていて、その文言が気になって読んでしまった。

少女のような母親
とかなんとか

うちの母親も
少女のようである。

こだわりの強い少女。


それでかな。



で、読んだら
すっと

なんだか
なにかが通って

新たな感覚が私に訪れた。

私の両親は表だって
大人のデキた人間らしい言動で
私を導いたり、励ましたりって
ほぼなくて
すごく大事なことは
言葉で教えれたこともないし
言葉で安心させられたこともない。


そんな親に
どっかで、小さな私は
かまってちゃんな不満を最近まで持っていたのだけど

親の支えって
そこだけじゃないなと
家入レオさんのブログで気付いた。


そうそう。

究極は存在だけなんだけどさ。
存在してくれてるだけで「ささえ」なんだけどね。


でも、それだけじゃなくてね。


私の父や母は
私を『特別』な存在として
扱って
大事にいつも
思ってくれているということ。

周りの誰とも区別して
私と姉を

とても大事に思って重要視して
特別視して人生の優先順位において
私たちの幸せを
人生の優先順位の中で
はからずも、
いつも
高く
持っていてくれることが

それこそが
私の「ささえ」なんじゃないかと

そう思った。

それって
愛、だよね。



何をしてくれた
何を言ってくれた
何かを与えてくれた

そんなことじゃなくて
もっと基本的なこと。


それが
父と母の愛。

私の幸せを願ってくれる気持ち。
私の子供の時に描いた絵をいつまでも家に飾っておく母の気持ち。

私の上げた人形をいつまでも大事に
飾っておいてくれる気持ち。

コントロールなんてしなくても
求めなくても

そこにあるもの。

それは本当にありがたいものだ。


やっとこう思えて
私は幸せだ。


なぜ今まで
わからなかったのかな。


と不思議なほどに。


ありがたくて
涙が出る。


勝手に生きづらい気質に生んだ、とか
貧乏な家に生んだ、とか
適切な導きやフォローをしてくれなかった、とか
好きな大学にいかせてもらえなかった、とか
抑制して可能性をつぶした、とか


そんなことどうでもよくて
まあリアルタイムにはどうでもよくないが

家の親が
できなかったのは
人間としてのテクニカルな部分の未熟さからであり

心としては
いつも十分だった。

私の
ヘンな紙に書いた絵。
いつまでもなんでとってあるのかなと
思ってたけど。

そういうことだ。

私も息子の描いた絵を捨てられない。

それは絵であり
絵ではない。

息子と共有した空間と
その絵を目にしたときの
私のあたたかい幸せな気持ちを
具現化した物体だからだ。


父親はこの間
私と息子が二人で写る
写真を引き伸ばして額に入れてくれた。



彼らも
私の写真や私の描いた絵を見て
私の知らない感情を
持つのだ。



親とは

ありがたいものだ。