誰かを救おう、と
力む気持ち。
それは
自分を裁く気持ち。
憐れむ気持ち。
溺れている自分が
いつまでもそこにいる。
力む為には
対象がいつまでも
必要なのだ。
私はいつのまにか
そんな対象が消えてしまい
力む必要が消えてしまった。
今まで力みっぱなしの人生だったのに。
そして
いつのまにか
「ただ、自分がやってみたいことをする」
というスタイルに
生きる姿勢が変わっていた。
誰かを救う、
自分を癒す
そんなことは
いつの間にか消えていた。
そこで
改めて自分が選んだ
生きる道は
やってみたいことをする
できることをただする、という道。
しかも、自分ができるだけ楽しめる仕掛けのあるゲームを選んでプレイする、ということ。
それだけなのだ。
その
ゲームの中で
課題をクリアしよう、とかは
あるかもだけど
ほんと、ゲームの中の話にすぎない。
力みを失ったいっときは
人生あんまり刺激なく
楽しくないし
やる気も失せたし
無気力だったけど
やっといつのまにか
「次」にいけていたな。
今振り返ると。
誰かを救いたい、という人を見ると
その人がまだ
救われていないことが見える。
いつでも、バランスは取れている。
そして
そこには
依存心高めの人が集まる。
当たり前のバランスだ。
逆に
他人を救いたいなんて思わず
個人を信頼し、自分を信頼してるひとのもとには
同じような人が集まる。
救われたい人も来ない。
依存心が高い人も来ない。
依存心が元来高いひとでも、その人の前では不思議と自然に依存心を引っ込めてしまう。
全て自然の摂理であり、バランスである。
私が自分で感じてきたことだけど。
これは、皆んながきっと感じてるかなあ。