構えることをやめたとき | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

朝、ケーブルテレビで
昔見たことのあるくだらんホラー映画を見た。
ホーンティング、だったかなあ。

お化け屋敷に呼ばれた女性。
最初は怖がって叫んでたくせに。
自分が、ここに呼ばれた理由を自らの感覚で
知ると、
突然肝が座る。

ふと自分の中のものに気づく。
それは強さ。

もう、怖くない。
あなたなんか
怖くない。

オバケのおっさんに平気で立ち向かう。

怖くなくなったときに
勝ち、は決まる。

そのとき
周りのありとあらゆる同じベクトルの
エネルギーが味方する。

その場では
彼に殺された被害者の霊たちであったが

同じこと。

恐れなくなったときに
周りは全て味方になるのだ。

恐れなくなったときに
相手は敵ではなくなる。

構えなくなったときに
相手は敵で無くなるのだ。


映画はとりあえず置いておいて。

敵でなくとも
願望も
目標も
同じ。

自分と分離してると感じるものは
すべていっしょなのだが。

「それ」に対し、構えなくなっているとき
つまり
自分がその事象を
超越した次元の存在であるとき

願望も
目標もないのだ。



そのときに
敢えて
ふと
人間意識にもどって
自分と事象を見て

「過去」の願望、目標、モデルとしてたもの

いつの間にか
叶っていた、すでに超えていた、ということを
味わうのを
私は昔から
何百回も繰り返している。

そのときは人間として快感だったりして
面白いものだ。

いつも、そうなのだ。

こんなくだらん映画でも
なんか感じたわ。笑

分離しているという錯覚が
すべての
「問題」という
錯覚を生み出すのだ。
そして、達成感という
錯覚も。

どちらも、錯覚だが
楽しいものであり
人間に生まれないと
得られないものだ。


実際は
分離なんてしてない。
すべて持ちすぎるほどに持っている。
すべて、溶け込んでいる。周りに。

手なんて
脚なんて

これすらも
幻だ。
あー、面白い人間世界。