救おうとなんて、思わない | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

そもそも、
人が人を救おうなんて、

どうかしている。


結果として
救われた、ということはあるだろう。


だけど、
人を救おうという
気持ちが先に立って
いる人は

救われるべき人がいる世の中を
望んでるということ。


そういう人は、不思議と
依存心の高いひとを呼び寄せる。

自分こそが何かをしなければ!と
思う人の元に
人の手により救われたい人が集まる。
自分の力を信じられない人が集まりやすい。


ちょっとそういうのは、今のわたし的には気持ち悪いが、
世の中は、それで成り立っている。

状況は
人により
求めるか求めないかの違いであり
それが合わない人も合わない時も
合う人も合う時もあるだろう。


その人の最高の形を
発揮するのを私は手伝えるとは思う。
だけど、根本的に助けたることはないだろう。


なぜなら、私の周りには「足りない」人も「困っている」人も居ないのだ。


そんなの求めとらん。

私自身が、楽しめたら良いのだ。
私が楽しむために
他人を手伝えるのは
時として楽しい。


人の上に立つのは
めんどくさいと昔から思ってたけど、
学校でも、会社でも、職業訓練校でもどこにいっても、上から、横から、下から選ばれて
結局リーダーになってしまっていた。

リーダーでない仕事を二年したら
物足りなかった。やりがいなかった。

そしてまた、今マネージメント。
もう、物足りなくはない。

必死に仕事覚えている。
それが、楽しくもある。

…余裕すぎる仕事が物足りない私は

家の仕事が満足にできない。

なんなんだろう。
家事はうまくやっても広く多くの人に認められないせいなのだろうか?
ゲームとして報酬が少ないからか?

達成感が感じられないからか?
ううむ。