クリエイティブではない人はいない | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

人はみんなクリエイティブな存在だ。

誰しも。


私の旦那も物を作るのが好きである。
義父は工作が得意。
義母は書道の師範。
父は絵画や小説を書き写真を撮る。
母は…家の図面を書くのが好き。
私の祖父は彫刻師であった。
祖母は不明だ。笑
母方の祖母は農業しながら書道をしていて
父方の祖父は農業的なクリエイティブだった。

そして私の姉はライターだ。


さて、クリエイティブではない親族がいないじゃないか。


私の祖父は
武道の「達人」(という名前の「段位」)であり
彫刻師だった。

人に武道を教える。
それでいながら、一人の時間をすごし、制作に没頭する。

なんとも理想的だ。
寝てみれば幽体離脱で自由自在だし。
手を当てて弱ってる人を助けちゃう。


スーパーマンだな。
と思う。



とにかく、人は
自分を表現したくなる動物だということだ。


方法はそれぞれ。
クリエイティブでない人はいない。


ちょっと例外なのは
葛藤が強すぎて
誰かにどうみられるかを気にしすぎて
クリエイティビティが閉ざされている場合。

もともとは十分クリエイティブなんだけど
外に出ないカタチ。



あとひとつ言うと
外向的な人より
内向的な人のほうが
ためているものが多いので
作品にして吐き出すものが多い。

よって、内向的な人のほうが「作品」に価値を与えられやすいが

そんなの関係なしに
すべての人にクリエイティビティは備わっている。

「ここにない状況」を想像できるだけで
クリエイティブなのだから。


そんなわけで
「クリエイティブ」に意味を持たせすぎるのは
やめたのだ。


この世の全ての人間がクリエイティブだから。


パクリでもいいんだ。最初は。
でも型を覚えたら
きっとじわじわと「自分の表現」になる。


習字でも最初はお見本を真似るもんね。


誰でもスムーズに運動できるというのは
私が体を張って「それはない」と言えるが
クリエイティビティはすべての人に平等に与えられていると思うなあ。

でもクリエイティビティも
運動神経と一緒なのかな。


私のように脳が理解できなくて体が動かないようなことでも
努力せずに自然とできる人がいるわけで
同様に、表現においても私が自然とできることが
脳にフィルターがかかっててうまくできない人もいるのかもなあ。


まあ、でも、絵ってみんなそれぞれの良さがあるよね。
描いてもらうと、すべてに味があるよね。
運動ってさ、味も何も…ないし。


誰かは「教えること」はクリエイティブだ!といった。

つまり何でも大抵はクリエイティブであり
その人のやりようであり
カタチなんてどうでもいいのだ。