この数ヶ月、色々な感覚を得て
とても、興味深い体験をしている。
通常得難い、というか。
全体感で体験している感覚は
当たり前だけど
何も変化が無い。
個人的に体験している感覚は
本当、振り子がカーンカーンって
両極に振れて
面白かった。
いや、その時はモヤモヤしてたんだろうけども。今にない感覚だから、もうわからんけど。
全体感にすぐに入って
個人から物事を手放すのが早くなったなあと。
私という身体の意識を
尊重しないわけではないけれども
私は容れ物であり
大したものではない、
大業を人間界で成し遂げようと、ひっそりと罪人として逃げて生きようと
どうだってよくて
そこに価値の大小なんてないんだと
気づけば
私という存在はどうだってよいと
本当思う。
皆がこの感覚を
得て生きれば多分、犯罪もないだろうし
戦争もおきないだろうな。
誰かが、自分の価値を
誰かに誇示したくて
始めた権力の争いが
戦争になる。
自分の損なっていると錯覚してる価値を
埋めようとして
犯罪がおきる。
人が誰に認められたいと思う気持ちに
罪というものがないとしたら?
世の中には罪人はいないということになる。
自分の中に、人に認められたい、とか
損なっている部分を埋めたいと
そう思う気持ちがある以上
戦争も、犯罪もずっとあるだろう。
関係なくなんてない。
全部、関係ある。
じゃあ、人に認められたいとおもうのは悪いの?ってなると
悪くない、となる。
そして、戦争も犯罪も悪くない、となる。
全体感はそんなもんだ。
ユニティ。ワンネス。いろんな表現があるけど。
ただ、自分が認められたい、不完全で完全になりたい、と思いながら
犯罪を責める。
これは、普通にあることだけどね
自分の中にあるものが見えるだけだと
気づくか気づかないか。
ふと、大きな意識の中で、何事も責めなくなる時
それが、今という意識の状態にあるときであり、それが、本来のピュアな私たちの状態なんだと
知る。