価値はどこに④ | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

周りから見たら
きっと
たぶんだけど

充実しているように見えたかもしれないし
私も「楽しそう」な自分をいつも
演出していたように思う。


だけど実際はいつも心は孤独で
友達にも
自分の本当の心の闇を言うことが出来ないし
友達はみんな自分たちが特別だと思っていたように見えた。

なんだか
疑問符がいつもあって
なんでそんなに、大きな声で目立つ行動をとり続けられるのかが不思議だった。

派手にふるまう自分たちを、周りのみんなは黙って受け入れるだろうと
そう思い込んでいるからこそできるのだろうと
私は感じて彼らの傲慢さに腹を立てながらも
自分もその場に仲間としてそこにいた。


私も私だ。


私は私を生きていなかった。

私はどこにいたかって
どこにもいなかった。

どこにでもいて
どこにもいなかった。


自分に優しくできなかった。
自分を認められなかった。


みんな、本当の私を知らない。

そう思っていた。
そして冷たい心で友達を眺めていたのだ。

ああ、懐かしい。



もう20年以上も前の話になる。


高3、17歳のある夏の日、私は自身で
神の啓示を受けるというか…大げさだな。
とにかくわかりやすい意識変革が起きる。
そのような出来事を迎えて
無条件に周りにいてくれる人に感謝をするようになるのだ。

そのとき
どうでもよくなったんだ。
周りの人がどうでも。


そして自由になった。


でもまだまだそれからも自分を
自分で評価するようなことって
ずっとずっとなかったし

自分で自分が見たい自分を
まだまだ作っていなかった。


自分が自分の価値を決めるなら
自分に自分の頑張りを見せないとだめなのに。

今ですら
他人のためにやってるんじゃねえかと
思うときもあるし

純粋に自分のために
頑張ってみようと
やっと思えてきた。


自分のためって
別に
他人のためにならないっていう意味じゃないよ。

そういうのも含めて、なんだけどね。