「私は私」ではないとき
周りの人に対して
思い込みが
少なからずあった。
というのは
自分と周りが分離できないときは
相手の中に自分を見る状態を続けるからだ。
すると理解できない事に出会ったとき
否定したくなり
そのままにできない。
見過ごせない。
つまり相手そのものを見てないんだよね。
ザンネンな状態。
私はそうだった。
前一緒に働いていた人が
今
違う形でたまに会うのだけど
私がいかに彼女を
理想化していたかなと思う。
彼女は素敵な女性だ。
でも私が信じていたほど強くもなかった。
考えが深いわけでもなかった。
普通の素敵な女性だった。
もちろんタフな面を持ってるし意志の力も強いけどね。
でも、私の持っていた彼女の像が完全な幻想であり、私の勝手な思い込みだった。
なんで
理想化していたかって
その方が私が安心していられたからかな。
そして私自身が幻想的な思い込みの産物で
自分で自分を認めず理解もせず、ありのままを受け入れることもせず
周りの世界と比べてジャッジしていたからだ。
でもね。
私がこう思えたのは
周りの世界と比べたり
周りの世界とバランスとりながら生きてた時代が長かったからこそ
それだからこそ、だとおもう。
それを体験したからこそわかるし
おかげでいろいろな常識や
大体の人の感覚を知ることもできたし
自分が相対的にどんな人間か知ることも少しできた。
だからいいかなと思う。
その世界って
優越感を得るには最高の世界だろうけど
今もはや
優越感に興味もくそもないので
意味がない。
なんか「みじめ」だとすら感じる優越感。
でももちろん子供たちは持ってもいいと思う。
そうやって成長するのだからね。
でも大人になって
頑張って
自立して生きていくとき
私としては
不要と思うよ。
今の私は。
こんな風に
上下の関係を手放すと初めて
みえるせかいがあるんだよな。
そして願いなんて
相対的なもんじゃないのよ。
世界の常識からみてどうとかじゃないってのも理解できるので
こうなると「願望達成」なんて考えなくなるから。
願望達成なんて
意識しなくても叶ってるから。
願望達成ゲームもたまには楽しいかもね。
でも
今はやること、やりたいことが
あるのでそんなの考えることもない。。。
今はすごく好き。