お金はこのままでは
無くなる。
このペースで使えば、無くなる。
なのに、昨日までの不安がない。
状況は一緒なのに。
これは本当に不思議な話。
結局、過去の後悔や罪悪感、孤独を
二度と感じたくないという
その気持ちから
お金への不安があったのかな?
でも過去のものは過去のもの。
そこにあったんだね、と
認識してあげて、
「私は子供だったんだ」と
「あの時はあれしかできなかったんだ」と
心のままに
自分がしたくないことをしない私は
あれしかできなかったんだと。
なぜ、私は、彼らのために動けなかったか、分かった。
さっき書いてたら。
自分を嫌いになりたくなかったからだ。
人の気持ちに共感できない未熟な感性を持った自分を見たくなかったから。
そして、その自分を冷たい人間と感じたくなかったから。
自分をこれ以上嫌いになりたくなかったからだ。
どうやって対応したらいいか分からない。
幼児の時から
同じだよ。変わらないよ。
今やっと少しずつだけわかるけどまだわからない。
私の感性は鋭いようで、偏りがひどい。
深く、アンバランス。
浅く広いわけじゃない。
だから、自分の感性が及ばない部分においては
自分がサイボーグのように感じる。
その自分がこわい。
見たくない。
それが理由。
でも、今ならわかる。
感覚は眠っているだけだ。
いつかは目覚める。
そして、その感性は自分の想像を超えた深さに及ぶ。
悲しみも、喜びも。
その時に初めて
その気持ちを理解する。
同じように、私の気持ちが理解できない人もたくさんいて
その人たちもいつか
その感覚が目覚めるときが来たら
「ああ、あのときmonaはこんな気持ちだったのか」と分かる。
私はだから自分も他人も
もう責めなくていいんだなと
そう思う。
友だちの親が亡くなったとき、彼女のもとに行かなかった理由。
友達が交通事故に遭ったとき、そこに行かなかった理由。
愛犬の最後、毎日通えなかった理由。
それは、どんな気持ちで寄り添えばいいか分からなかったから。
ただ行くだけでいいとは決して思えなかったから。
寄り添うだけで意味があるとは到底思えなかったから。
私が何か力になれるとは思えなかったから。
なぜなら自分が誰かに寄り添ってほしいと思ったことが
あまりなくて
心から、しっかり私を思っている人がいると思った経験もなくて
理解されていると思った実感もなくて
だから他人との関係づくりが希薄だっただけで
逆に言うと私は
かなり孤独だったから。
わたしは今は皆の愛がわかる。
根拠なくわかるんだけど。
あのときはわからなかった。
そして、心と行動はつねに一緒で
今もそれは一緒。
私は人がこうすべきと思った行動を、自分がそう思ってないのにすることが
死ぬほどに苦痛なのだ。
理由がしっかりとあれば、誰か教えてくれれば
私は、行動ができたかもしれないな。
でもそれがあって今がある。
そして私はもう、孤独も受け入れているし怖くもない。
なぜなら目を閉じたって私を支える愛が見える。