この間
NHKで病気で外見が通常と変わっている人たちの
その見た目の悩みがある中でどうやって生きてるかみたいな
そういう番組をやります、という予告を見た。
その中でトリーチャーコリンズ症候群の人も出てて
非常に興味を持った。
というのは私は昔からだけども
そういう体や外見が大多数の人と違う人に興味が高かった。
海外のそういう人たちを集めたサイトなど、眺めることもあった。
当時は自分の仲間的な意味で見ていたところもあったと思う。
なぜなら自分は周りの人間に「気持ち悪い」と言われながら生きていたから。
でも今は実際、同情もしてなければ共感も今やない。
ただ、興味が深い。
なぜかなと思って
ちょっと無になってみたらわかったけど、
その外見をどのように自分の中で受け入れているかに
非常に興味があるんだ。
外見になぜそこまでこだわるかというと
考えてみたけど
自分が自分の外見がこうでなかったらどうだろうとか
そんなことをどうやら考えてるようだ。
私は外見を褒められることが
けっこうある。
で、そこに、自分の価値を預けやすいのだ。
でも、実際にそこには価値はないのに
そこに頼ってしまいやすい。
というか、だからこそ、私に価値があるんじゃなかろうかと
そんなことを考えたりしたからかもしれない。
つまり
外見というものが
私のかせになっているのだ。
昔も今も。
気持ち悪いといわれた昔も
褒められる今も
どっちも結局
外見に支配されているのだ。
と、書いている今やっとしっかり腑に落ちた。
だいたいにして
このブログのプロフィール画像も
そこからきているから。