たとえば
ごうりきさんに
知的なコメントや、鋭く時代を切るコメントを期待してない。
彼女は華であり、純粋な若さ、かわいらしさの「添え」として
番組にたたずむ。
だから彼女が突然
はりきって
そんなコメントしても
みんな「ぎょ」っとするかも。
そこで見た人は見て
「おお!」と思って別な側面をフォーカスしてくかもしれないけど
その前に
番組の性質が変わって見えることを恐れて
編集されてカットされて
人目にふれないかもね。
そんなものかも。
意図あってのキャスティング。
そして期待するキャラがある。
それが番組作り。
予定調和。
全てシナリオ通り。
くだらないけど。
そんなものかもね。
私がテレビ見ないものそれかな。
有吉が、人にやさしいだけで切れ味がないなら
それは期待に添わないでしょ。
彼が「これも俺」というと思うけど
それは番組プロデューサー側が許さないわけで
というのは、スポンサーからの金がからんでるわけで。
つまり金の巡りの中で
人の期待の中で
期待に添うように
その役を演じているのが
テレビの中の人。
もちろん、期待されているキャラは
どういう風にテレビの向こう側に自分が映るかを常に意識していて
それもプロフェッショナルだけど
本当の自分でいられるかって
そりゃ無理でしょ。
そのひとの
変化を受け入れられるか?
エンターテイメントだからね。
テレビのイメージから、
過去の言動から
期待してみている。大体の人は。
そして、期待に副う言動が出ると、満たされるんだ。
変だよね。
それじゃーやっぱ芸能人は
長生きできないのは
人の基準で人の期待を満たすように演じるせいなのかもね。
芸能界に限らず
どこでもこれは起こってる。
本当はごうりきさんが
頭がすげーよくて
すごい切り口よく、コメンテーターより鋭いコメントすることができるのに
その場を与えられてないとしたら?
そういうことって
絶対にあるわ。
でも、本人が望んでもその場を与えられるか???
冒険的だから
なかなかないかも。
よほど、プロデューサーに見込まれたとか
そんなのでもない限り。
本当は、
そんな飾りじゃなく、コメントする人になりたい。
そうであれば、本でも書いて
ヒットさせて
違う側面を見せてかないとだめだね。
そして新しいイメージを視聴者(一般)につける。
そしたら、そのイメージを満たすために、テレビはそのように
初めてキャスティングする。
人が自分に期待する役割って
イメージからくる。
行動からくる。
それに縛られると
自分を表現することに制限ができる。
やるならやらないと。
誰がどういおうと。
イメージじゃなくても。
自分がやりたいことを。