自分で見える世界は自分で作っている。
けれど
相手が自分と同じというわけではない。
だったら、楽なんだけど
でも
気付きも成長もないわけで。
それでよし、今でよし。になるわけだ。
でもそうでない。
こないだ、義理の母と話してて
???って思うことが
多かった。
というか
最近
多くなった。
年をとって
人に合わせることをやめたのか、
だからこそ
それが露呈してきたのか?
彼女は私と大きく違うんだな、と思った。
彼女はいい人だ。
そしていい人間である。
そして常識的である。
そしてそれは彼女が周りにそうみられるべきと
思っていることから来ているような気がする。
実際は知らんけど。
「いい人間であろう」としすぎる感は
昔からあった。
どうして
そこまでいい人間(対他人)であろうとするのか
昔から不明だったけど
でも
わたしにとってそれは不都合ではなかった。
しかし
彼女は透明性
一貫性がなくて
どうも中身と外が一致してない不自然な印象を私は常に持っていた。
ありのままでいられないのだ。
ありのままでいようとするときは
わざわざ意気込んで「それでいいわよね!楽したって!」とかいう。
そんな風に言わなくて
いつでも楽したらいいのに。
多分
みんながそう思ってるのに
彼女は一人気負っているのだ。
そしてその彼女に
みんなが甘える。
そんな図式があった。
しかし
何かが変わってきている。
彼女が無理をするのをやめ始めたのだ。
それはすこぶるいいことだけど
うん。
人間は
個性があった方が面白いし
偏りがあった方が
面白いんだけどね
何かが違うんだよね。
面白みには
欠けるわ。
でもまあ
彼女の「過程」なのかもしれないな。
わかんない。
でも、きっと
まあ
ふたを開ければ
身びいきの
みんなにいい子に見られたい
気の小さい
64歳。
仕事も
専門的なことをして
社会には出てない。
家族のことをメインにしてきた。
ビジネスの話なんて
できない。
そういう、お母さんなんだ。
今まで合わせてくれたんだなー。