人の犠牲になってる
そういう風に
自分の人生を我慢して生きる人間は
実は誰かの人生を犠牲にして生きる性質を持っている
我慢して
自分を抑える人は
尊敬するだけでは
ないです
だってね
その分しっかりため込んで
その先に放出したり
自分で自分の価値を決めて
自分で自分の好きなこと
または、やることを「自分で決めて」意識し
「やらされていること」がない状態でないと
誰かに
同じようにそれをさせる
子供
部下
旦那
またはするのを強制したり
そうするのを
当たり前と思い、冷たい目で見るのだ
我慢する人
自分を犠牲にする人
私なんて
○○のせいで
またおばあちゃんが
○○して…
そう思うか
冷静になり
自分が後悔しないように
自分がやることをその場で決める
拒否できない状況なんてないのだ
いや、あるかもしれないけど
でも人間は誰に押さえつけられてこれをしろ、あれをしろと手と足をつかまれて動かされることはないのだ
自分を大事にできる人が
人を「ほんとに」大事にできる人
無理しているひと
犠牲になる人
誰かのためにやりすぎる人は
本当の意味
飢えたひと
つまり
人から奪おうとする人だ
残念だけど
人間はこのバランスをすぐ崩す
夫に依存
仕事に依存
孫に依存
なんでもね
頼られる人は
頼られてバランスを保つ
依存はすぐに生まれる
依存は悪いことでないけど
バランスを崩しやすいので
精神的病になりやすい
そう
義母のように
誰でもだよ
かわいい孫の面倒を見れなくなる
そのことが強迫になる
すごく楽しみだったからね
楽しみに自分の力をかけることは
自然なこと
その自然な思い
いつの間にか強くなる
失われると思うと
「執着」に代わる
それが
問題だ
そして依存になる
自分がやってあげるべきことがなくなる
自分が誰にも必要とされていない気になる
旦那以外に
すると
死を考える
それは自分に価値を持ってないからだ
自己中な人は
よーく孫にも興味ないといって自分の趣味にいそしんでる
それはそれで楽しい一生でいいのかも
一般的には非難されやすいし
変人扱いだけどね
はは
いつでも
人間はおもしろいな