人間ってやつは
自分の力の使い方を
しっかり教えられないまま生きてるんだなあということを
最近、思う
人間には「器」、と表現されるもんがあるが
まあ
ようはキャパみたいなものね
でも正確には違うんだけど…
たとえば、2歳児が一億円を手にしても
おもちゃとして遊べないでしょ
たくさんのおもちゃとお菓子を買うとかの発想しかないし
大人を巻き込むとしても
ちいさな遊園地を作るくらいしかできないでしょ
つまりそれで、十分に遊べないわけだ
そんな感じで
人間は
自分の持っているものでどれだけ遊べるのかを知らないから
今も
そうやってるんだと思う
大人もね。
人間は
自分の持ってるもの
つまり、「力」の使い方
「力」を使った楽しみ方を知ればいい
でも、結局
ここで「器」が出てくるんだけどさ
大人になって、いろんなお金の使い方を知っていても
やっぱり
一億円でお菓子やおもちゃを買うということを楽しみにするという
こともある
それはそれなのだけど
もっと違う使い方を知っていて
そうするのか、
知らなくてそうするのか、は大きく違うと思うのだ
器、と表現するのは
やっぱり、ちょっと違うけどさ
いろいろ知っていて、内容はあっても
それを実行できるかは
やはり
そのソフトを使いこなすハードの容量次第ってことだよ
旦那が
4億当たったら、車がどうこう。。。とか言ってるけど
私は発想が「ちっちゃい」と思う
手元に4億あったら
もっとワイルドに行こうよ
その発想が
その人の想像力の限界でありパターンであり器でもある、と思う
それぞれが
違うからこそ、この人間の世界は面白いのだけどさ