気にすることができるとき | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

昨日も

しつこいようだけど


朝息子が保育園で大泣きして

咳をしていた


ので

そのとき&そのあと


なんだかいらっとした



また咳してる!

また泣いてる



あああ

いつまでだろう


咳もひどくなったらどうしよう(毎回だいじょうぶなくせにトラウマが…再生される)




小1時間くらい

ひきずったが


あれ?と


ある時から考えられなくなった




帰ったら

だんなが

「泣いてなかったよ~」

せきは?

「せき?でないよ」だって




やっぱりね


そうだよね




結局さ

きになるもんはしかたない

でも


きになったとしても

イライラしたとしても


しかたない


なんでも

その時だけなんだよね


あとから

いらいらしようとおもっても

いらいらできなくなるし


気にしようと思っても

そこまでそこのことに集中できなくなるときがくる



いつまでも続くと思うから

へんだったんだなあ

わたしは



とつくづく感じた昨日の出来事でした



人と接しなくなったり

誰も何も言ってくれなくなったりすると


この機会がまるで減る


何かにフォーカスすることって

持続的には難しいなと思った


世の中で言われる「よいこと」「わるいこと」どっちもね

期待も心配も不安も


持ち続けられない



だからそのきっかけに触れるようにするかしないかってのが

大事なのかもね



かなえたい期待は

そのきっかけに触れるように意識する


払いたい不安は

離れるように意識を切り替える



だいたいさー

わたしって片付けべただけど


部屋掃除するときだけ

「お掃除マン」になって目線を切り替えて

掃除して

そのあと

「気が済んで」

元に戻る


だからさー

部屋も元に戻るし

中途半端なんだよねえ


気にすることができるって

すごいことでもある


ははは