どこに自分をチューニング? | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

私は今まで資料集めのごとく

どんな人にもチューニングして
理解しようとして生きてきた


だからこそ
いろんな人の気持ちを推測できる

でも
これって
疲れる作業だよ


だってさ
誰も気持ちもわかるということは
いつも
自分の中にいなかったわけで


たいていの人はこれを
器用に都合よく
感知して
きっかけとして
自分の中に戻るんだけどさ

私は外に出っぱなしになることが多かった

意味わかんないよね


たとえば
誰かを責めそうになるときとか
相手の立場とかバックグラウンドを想像すると
許せるものでしょう?

そのとき
ただパッとそう、一瞬想像して
戻るならいいのだけど
私の場合
そのまま相手になっちゃうというか
相手のことを想像しすぎちゃう


あとは足が不自由な人がいたとする
それをみて
その人はその人の人生があると
気づけば元に戻れる

でも、その人の人生を想像しすぎていた
家ではどうなのだろう
子供は…とかさ


そういうのが今はないけど

とにかく
すべての人の気持ちがわからないといけないと思っていた

それって
疲れるよね

今はない

自分でいるということに重点を置いているから
自分の中にいて初めて
自分をしっかり表現できると知ったから


このブログは赤裸々だから
これを書いているときはだいたい
自分の中にいる
セラピーみたいなものだ

それにしても
思うのは
悪霊が見えるだの
どうだとか
そういうこと言っている人も
まあ
見たいから見ているわけで
それも、私みたいに「すべてにチューニングする必要がないのにチューニングしちゃう人」なんだよね
ただそれだけのひと

子供時代は仕方ないけど
大人になってもそれをするのは
好奇心がただ強いだけなんだよね、と思った

見えない生活を選ぶ方が
楽しいよな、普通。

悪霊にチューニングするということは
汚い部屋にわざわざ踏み込むことを選び
そうじすることを仕事にしている人のようなものだよ

まあ、好きな人生だからさ
それもいいかもな

霊感姉妹みたいな、人の悪霊だの、生霊だのを成敗するような人に前会ったことがあるけど
たぶん、悪霊が好きだったんだろうなあ

美しい自然や、楽しい飲み会より…
悪霊に引き寄せられるという…
そう思うと

おかしい


この世界はいろんな人で構成されている