やさしさはどこから | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

朝、子供のアニメ
「プキプキ」を見ていた

そのとき

プキプキが歩けなくなった?友達の子をおんぶして
帰ろうとするんだけど
重たくて難しくてできない
するとその友達は「いいよ!プキプキは先にいってて」という
でも
プキプキは「○○を一人には出来ないよ」と
そばにいて
結局一晩一緒にいて そこで明かす

という場面を見た


そのときプキプキは「自分だったらこうしてほしいから」、と
友達と一緒にいたんだろうか?
なんか違うような気がする


話は変わり
今日息子を送っていって
玄関で靴下を脱がせた私

でも実は、そのあとホールでお遊びだった
ホールでお遊び=靴下着用のまま
でも
かわいい保育士さんは
別に私が余計なことして靴下を脱がせようと微笑んでそこで待っていてくれた

彼女は
自分が私の立場だったらそうして欲しいから
そうしたのだろうか?

なんか違う気がする


重ね合わせることばかりでなく
ただ
その段階(オートマティック即席タイプ、仮の自分癒しゾーン)を超えると
自然と身についちゃうっていうか

そういうことってあるのかもしれないなあ


人ってさ
自分が感じたことしか
気が回せないのかなあ?

どうだと思う?

気を回すってのと
違う気もするな

気を回すってのは
相手本位っていうか

自己満足なサービスで
気を済ますだけの
偽善って感じか?


そうすることで自分自身も心地よく保てるってのが
心からの親切なんだろうなあ
無理しない
後から考えても
そうしてよかったと思えるだろう行為

プキプキは
きっと
自分がそうすることが自分にとって自分を裏切らない行為だとわかったからそうしただけなんだろうなあ

オートマティックに
無意識下で過去の自分を癒すために
そうしているなら
またそれは相手がいるようでいない思いやっているようで思いやっていない
そういうものだよね

結構今まで
そうやって生きてきたなあ。私は