自分と人を重ねること | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

私は思ったんだけど


どこまで

自分を人とを重ねることって必要なのかなって?



旦那を見ていると

自分と人を重ねすぎて

俺ならしないことをする!!と他人の運転マナーに憤っていつも車に乗るとイライラしたり

息子が食べないと「このままでは、わがままになる」とかイライラしたり


重ねまくっとる…ガーンと実感する日々



私自身も最近まで誰でもかれでも

私と重ね合わせて生きてきた


私の中では

私の中の感性を広げて

多角的に物事を見れる人になれば

どんな人に会ってどんな状況に接しても

相手の気持ちがわかる、と

そう思って目指してきたところがある


そして

その相手を感じようとする気持ちは時として

必要以上に

自分を苦しめた


高校時代に自分に依存してきた友達

うざくてうざくて

耐えられず避けることで解決した

いまでも罪悪感が残る


これは自分が相手だったら

このような気持ちを抱えてると

自分の気持ちを相手に見て重たくなったわけであり

まあ

そうでなくても うざかったかもしれないけどさ


でもね

人の中に自分を見る習慣は

本当に苦しいものだ



子育てが大変だったのは

この理由に他ならない



私が息子の中に自分ばかりを見たのだ


そして

私が私でいられることがなかった



旦那に対してもそう。



今になって思うのは

本当に自分の感覚を広げて相手を理解したつもりになることで

何か幸せはあるのかってこと



なんかちがくない?


カウンセラーでもセラピストでも

相手に自分を重ねることはタブーだ

感情転移だ


そんな風に

相手に自分を重ねない人に会ったとき

どことなく冷たい感じもする


ほんとだよ

実際、彼女ら、彼らは素晴らしい態度なんだけど

どうしてもっと、私に入ってきてくれないんだろう?

投げ出されてる気分。

こんな風に感じる



私は今ではそうは思わないだろうが

そのときは

感情転移しまくって生きてたので

そう思った


相手の気持ちをわかろうとしないなんて

冷たい、と


もちろん彼らとっては

「monaさんにはmonaさんにしかわからないことがある」という尊重であって

それ以上入らないだけなんだけどね


なんか笑えるが

そんな風に生きてきて

今になり


自分と他人はまったく別であるよね


理解する


これはユニティとかワンネスとかとまた違うのよ


自分しか見てないのよ

人は

基本的には。



でも

他人は他人であると尊重できると

自分の個性を許せるんだよ



これをちゃーんと

まとめたいなあ


大事なことだと思うよ