いかに他人に共感しながら生きていたのか
それがわかった
私は
足の悪いおじさんが売り場の前を通るとき
いつも
彼を見てなぜだか、ちょっと心を痛めていた
今日は
心が痛まない
そういうことが違う
自分は自分であり
相手に無意識に共感して生きることは自分の感覚をおざなりにして生きることでもある
相手の感覚も自分の感覚という
そういう捉え方もある
でもそれでは生きるのがつらくなるのだ
本当に自分が望むことがわからなくなる
共感したところで
自分が認識できる(想像できる)範囲しか
相手の感覚を知ることはできない
しかも
それはあくまで自分の感覚で相手の感覚ではないのだ
たとえば
その足が悪いおじさん
もしかしたら、元はまったく歩けなくて
リハビリして、自分ひとりで歩けるようになったことを誇りに思いながら歩いていて
同情されるようなつもりがまったく無い、という場合もある
私が心を痛めたのは
私自身に対してだ
相手が何を考えて行動しているのか
そんなの本人にしかわからない
だいたい
私がこんなブログ書いていることなんて
友達も2人しか知らないしね
けど、誰かのことを本当に知ろうとしたとき
知る手段がある
それは相手の気持ちを聞くことだ
どういう背景があって
どういう考え方で
どういう行動をとったのか
それは聞けば
すべて許せて
すべて理解できて
不安が消える
これはお互い、
雰囲気だけでわかって欲しいことでもあるけど
言葉と表情や行動でしか
分かり合えない人間同士だからこそ
言葉にして説明する必要があるのかもしれない
または
私自身もそうだけど
自分で理解するために
ブログや日記などを通して一回言葉に変換するのだ
まことに厄介
でも旦那なんて私のこと
どれくらい理解してるかな?
私も、理解させようとなんてしてないかも
あいつには、理解できるかなあ、なんて
でも自分の今もっている感覚だけで理解しようとすると理解できない、と
もがいて
逆切れ気味にエキサイトしそうだ
どっちにしろ
彼にはいずれ、私を少しでも理解してもらえたら
うれしいな