いまここ
といいますが
いまここに
こだわりすぎると
否定的人生を送ることにもなるかなあ、と思う
つまり
こういうこと
人間て未来を想像したり
過去を思い出したりする
それが当たり前なんだ
直線の時間軸ありきの
人間なんだ
それを否定しちゃつらいよね
未来を想像して
過去を思い出して生きるんだ
誰でもが。
ただ、未来を想像したときに
「今」どんな気持ちになっているか
過去を思い出したときに
「今」どんな気持ちになっているか
それが
今にとって大事なのだ
でも
私は
「今」って
過去とか未来と同じ軸の一点とは思えない
変だ
今ここを生きるということは
未来に旅行に行くことを想像して
ワクワクすることでもあり
今、におってくる焼き鳥のにおいを楽しむことでもあり
過去にサプライズギフトをもらって感動したときのことを思い出して笑顔を作ることでもある
どれも
「今」を生きている
「いまここ」を取り違えては
つらくなるかも
人間であるなら
時間軸を意識するのは当然だ
ただ
「今」って言葉
なんか変えたいな
この瞬間を今と表現するしか
ボキャブラリーはないのかなあ
しっくりこない
と、まさに今
一年以上ぶりに
いまここ塾を開いてみた
ふーん
いまここ塾も未来も過去も否定してないね
そうだよな
「過去を顧みて未来への希望をエネルギーに生きている」、だって
しかし
そのあとで
「出来事は中立でなく、善悪は存在する」「これらのメッセージはすべて真実」と言い切ってあったけど
私の考えはちがうなあ
やっぱり
そう思うにはその人のバックグラウンドがあるからね
阿部さんにもあるのでしょう
私はもちろん
人殺しはしたくない
されたくもない
食べ物を粗末にしたくない
でもそれって
善悪でなしに
人として自然な状態でそうおもうんじゃないかな?
そう感じるんじゃない?
悪があるから善を選ぶってのは変だよ
私は人として自然な状態が選ぶものってのが
あると思う
名前は無いけど
「善」でも「悪」でもないよ
評価しないし
ただ「そういうもの」だから
考え方は人それぞれだもんね
善悪か
悪い人か
良い人か
悪い行為か
良い行為か
悪い出来事か
良い出来事か
そんなの角度変えれば
みんな変わるぞ
やっぱ、私はちがうな