当たり前のことなのですが
いまさら気づいたこと
「自分が実際感じたことの無いものを 取り入れる必要は無い」ということ
たとえば
「霊は恐い」とか
誰が決めたのだろう
霊を恐いと
霊を本当に見た人が恐かったから?
私は霊を見たことも無い
恐いと思ったことも無い
でも
「恐い」と植えつけられていた
変な違和感と一緒に
そりゃそーだ
だって恐くないんだもん
それなのに
「恐い」設定で世の中にメディアで広まっているから
おかしくなっちゃってる
その違和感に
気づき
本当のこと
私が感じたことだけ感じればいい
生きた人間も死んだ人間も
同じだ
モンスターも精霊も
私たちの意識レベルだ
だけど
「あるはずの無いものがそこにある」ってのは
やっぱ
ちょっとびっくりなので
「霊」以外でもね
だから「驚く」ってのはあるだろうけど
でもね
自然な形で現れるって設定の人には
驚きすらないと思うし
その人の意識の設定次第だよね
だって目の前の何も無いとこに突然、ジャジャーンって
こないもんね
それが私の中にあった違和感でも大きなものだ
なんで一人のとき?なんで夜?なんで金縛り?とかさ
霊がどんなに悪霊と呼ばれるものでも
私のなかでは
性善説のもと、中和能力もあるので
恐がる必要がない、って
普通に気づいた
だって「霊」とかを
特別に捉える必要がないんだもん
自分だから…
気づけばさ
まーこうやってひとつひとつ
気づいていくのかな
面白いね
人って本当に
すこしずつすこしずつ
自分が本当にそうだと思ってないものでも
そういうものとして
影響を与えられている
受け入れるかどうかは本人次第だもんね
私は「霊」なんて感じたことが「なかったから」
だから「そういうものなのか」と受け入れた
でもさー
なんでもそうだけど
「結婚は墓場」「子育ては大変」「姑は意地悪」「長男の嫁は最悪」とか
なんでも
やったことがないものは
みたことがないものは
体験したことが無いものは
「へー。。。そんなもの?」と
受け入れてしまって
刷り込んでしまっている場合も多いんだよね
だから
最近
私がまったくネット上の情報やブログを見なくなった理由がわかった
1ヶ月前くらいは
敢えて自分をその場おいて
「反応するかな?」って試したりもしたけど
反応しなかった
情報から離れて
自分の感覚を取り戻すことだ
私自身の感じたことにのみ
価値がある
私にとって
たとえば誰かの映画批評を読んで
映画に惹かれても
もちろんその批評をした人に惹かれたのでなく
その文面から期待できる感覚を得たい、と
映画に期待するのだ
私が感じたこと、それがすべて
興味が無いのに
そうだとも思わないのに
同意しなくてもいい
前習えしなくていい
自由なんだなあと
やっと気づいた
本当に情報が無いって
いいねえ
…もともと昔っから
映画以外 テレビほとんど見ないけどさ