さて
この「イライラ」を
自分のこととして
見つめてみる
何かがうまくいかないとき
自分がすべてを創っていることを
わすれてしまう
何かが
分離し
それが、それとして意思を持ち
私の思いと逆のほうに働くように
思える
それに対して
イライラするのだ
なぜ、私の邪魔をするのか?私に痛みを与えるのか?
私に苦しみを与えるのか?
そう思うのだ
でも
その分離を
私は
「必要としている」のだ
分離することで
メリットがある
つまり
分離により
確認できることがあり
安心するのか?
負があることで
正を得ているのか
まさに統合されていないのは
私自身だ
イライラすることでいいこと
イライラすることでそのときの気持ちのままに発散できる
イライラすることで(周りのことを考えず)自分だけの気持ちになれる
イライラすることでそれが解消したときに開放感を得ることができる
あ?
二番目のがなんかあるね
自分だけの気持ちになり
閉鎖的にものをみることを憎んでいるね
それが
「正しくない」と思っている
ジャッジしているね
どうやら
私は。
自分だけの
自分だけの感情に飲み込まれている自分が
素敵だ。。。とか
思わないもんね
机の角に足をぶつけて
なぜ机がそこにあるのか?と
怒るようなそんなとき
私にはない
だんなにはある(苦笑)
でも
同じ原理で起こることがあるはずだ
あああ
皿洗いたくない
でも洗わないと汚い
洗わないと気になる
けど時間もない
めんどくさい
子供の着替えもあるのに…
キーってなる時がある
だんながまた皿をイライラして洗うくらいなら今洗いたい
けど
その私が今ひとりでキーっとしてる
実は同じだよね
それそれそれ