相手を理解しようとする心や
観察したい気持ち
好奇心
私は私でありながら
プカプカ浮いて
自分の船を乗り捨てて
相手の船に乗り込んでいく
どうしてそう考えるのか???
気になって
相手の船に乗る
どうしてそういう反応するのか?
気になって
相手の船に乗る
理解して
納得するときもあれば
理解して
逆に相手の未熟さに腹を立てることもある
そのときは
完全に相手に波動を合わせているので
相手が楽しい気持ちでない限り
あんまり心地よくない
なぜなら
自分が自分の船に乗っていないというだけでも
不安定だからだ
たとえば
結婚式に参加して
幸せそうな新婦を見て
彼女の船に乗り
「ああ、いいねえ~」って思うとき
そのときって
不安感は無い
だって簡単に自分の船に帰ってこれるから
自分の船に帰ってきづらいときもある
それは
相手の感覚を信じすぎて
自分の感覚を否定したときだ
元の船に戻りたくなくなる
元の船に戻ると
その船が欠陥だらけな気になるからだ
意識的に
相手の船に乗るのは
いい
でも無意識に乗るのは
やっぱり
あまり良くないね
誰かや
どっかのテレビでてるおばさんや
宗教の教祖でも
その人の船にどっかりのりこんで
自分の船から離れていると
やっぱりひずみだらけだね
きっと
私は
ずっと幼いときから
他人の船にドンドン乗り換えながら生きてきた
自分の船を
欠陥品で
どうしようもない屑だと思ってた
だからこそ私は
今
自分の船の大切さがわかるし
自分がそこにいることの
素晴らしさがわかる
重要性もわかる
そして
肉体や、肉体が持つ意識というものは
まさに
その「船」だ
私たちは
安易に他人の船に乗り込むことは
ないほうがいい
ような気がする
本当に幼いとき
私たちは
ほとんどの時間、親の船に乗っている
親の価値観を見る
そして
自分の船をデコっていく
それはおいといて
とにかく
無意識に乗り続けないことって大切だよね
私はよく
旦那の船に乗り
彼に向かって怒ってしまう…
そして子どもの船に乗り
けじめ無く要求を聞いてしまうときがある
ふっ
自分の船にのったまま
マイペースで
ポンポコ
歩んでいけたらね
神経質な子どもの親って
やっぱり
親が神経質
私は子育てにおいて
苦労した方だと思う
…私がもっとイージーゴーイングで
マイペースで
自分の感覚を信じきれることができるなら
もっと楽にいったと思う
息子にとってのベストを模索するがために
面倒なことになるのよね
わかってるんだけどね
でもその過程が
私にとって必要だったし
きっとすべてに意味があるのさ
最初っから「楽」してたら
わからなかったこともたくさんあるしね
私は高齢のお客様の接客ばかりしているけど
やっぱり
長年の介護の末ご主人や母父を看取った方々
苦労した方々って
優しいし
言葉に深みがある
苦労がいいってわけじゃないけど
そういう体験をしたひとほど
他人により深い愛を与えたり
元気付けをできるものだと思う
苦労が無い人もいい
ストレスフリーな
その素敵なエネルギーは
周りを本当に元気にさせる
そして一緒にいて気持ちいいし
まさに赤ちゃんや子どもがそれだよね
一番なりたくないのが
その体験が無いのに
知ったかぶること
その体験が無いのに決め付けること
判断すること
だと思っている
理解できないなら
「私には経験が無いからわからないけど
想像しただけで大変そうだね」と
素直に言うことができること
どうであっても
相手を理解しようという気持ちを持つことが
私の中で大切なことになっている
同じ体験をしていても
全く同じってこともない
ただ
共感しやすいだけだけどね
でもね
子どもが生まれてから
お客さんの心が大変に
早く開きやすくなった
私に子どもがいるとわかったときから
お客さんの心が
さらに近寄ってくるのがよくわかる
向こうが私の船に乗ってくるのだ
子どもがいないと理解できないことってほんとにたくさんあるな、と私は思う
そして
体験しないとわからないことが多い
だから女という生き物は
そんな風なきっかけで近寄ってくるのかもね
他人同士でも
突然子どもの年が同じくらいだってのだけで
仲良しになったりするしね
私はこの仕事の上でかなりのプラスになってるな、と思う
経験豊富になるほどに
共感できることが増えるのかもね
あとさ
美容部員は
子どもがいないから
きれいにしてられる、って偏見もあるしね
自分と同じように
子育てしながら仕事して
きれいにしてるって知ったときの
お客さんは
突然にリスペクト
(あ、じゃあ、私もやろうと思えばできることか)と
そんなものだよね