髪の毛4本 | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

今日の朝

子どもの番組を見て思ったこと

子ども番組に投稿されていた
その番組のお兄さんとお姉さんの絵


丸い頭に
髪の毛が四本

サッサッサッサと
描かれていた

ああ、かわいいなあ
子どもの絵は

髪の毛はこういう風に描くものだと
今はそれしか考え付かないからそうしてる

それは当然であり
とても子どもらしい、と
そう思った


自分は自分の中にある感覚しか
使えない


つまり
「男が話しかけてきたら
自分に気がある」という
インプットしかない女性がいたとしたら
彼女は
そう思い込んで
生きる


いろんな人生を知っていて
いろんな人
いろんな表現や
経験を持っている人は
いかようにでも
リフレクションで自分の多様さを映し出すことができる


つまり
子どもは
見た人を
髪の毛が4本しかない人にしか変換できないように

私たちにも
そのような つたない面がたくさんあるということ


相手の態度を
いっぺん通りにしか
変換できないということ

親が眉毛をしかめたときに
苦しいのか
怒っているのか

赤ちゃんにはきっとわからない

いつも怒るときだけ
眉毛をしかめている親の子どもなら
「怒っている」としか
知覚できない


そんな感じで

自分の中の感覚が広がらなくては
本当に多くの物事を
感じきることなんてできない
良い悪いじゃなくて


私の感覚を
旦那に教えたらきっと驚くだろう

逆に
旦那の感覚を
体感させてもらったら
私も驚くだろう


私の上司の上司の上司に会うきっかけがあった

確かに彼はいくつものことを乗り越えてきた人だ

見てわかる

余裕があり
楽しそうだ

でもリストラした数は半端じゃない


シビアな面も持っている

たとえば
彼から見た私を想像したとき
「売り上げが上げられない社員だな」と
冷静な目を影で持って見ているのかもしれない、と思う

しかし
実際の彼から見た私のことは
計り知れない

もっともっと
違うことを感じているのかも

数字なんて見てないし
感覚で社員を見ているかもしれないし
彼の長年の培った経験は彼のフィルターの形成でもあり
私は決してそこを見ることができない

彼が私のフィルターをみることができないように

私のフィルターは
私の経験によってのみ創られる


中には
「髪の毛4本」みたいな
そんな理解しかない部分だってあるのだ

長年大きな会社で上司をしていて
辞めさせられずにいたそのやり手の上司

その人と私

「仕事の上のこと」という
同じ被写体を同時に描いても

彼はきっと細部まで緻密にキレイにバランスよく美しい人を描くだろうし

私は丸い頭に毛が4本の人間を描くかもしれない


専門分野や
自分の時間をたくさん使ったものに関しては
フィルターが細かくしっかり映してくれるものだからね

人のエネルギーはいろんな形をしている



だからこそ
誰にどう見られるか
ではなく
自分のフィルターをいろんなものを映しこめるように磨くことだ

何にも知らなきゃ
何も映らないもんね