ダラダラひとりごと | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

心地よい

気持ちよい

だったらいい


たとえば
人にこう見られると「気持ちいい」という
他人を軸にした
自分の価値判断が
自分にとって
気持ちいい時期ってある


つまり
「かわいい」といわれたり
「かっこいい」といわれたり
そういうことを自分のステイタスにしているとき

それが気持ちいいなら
それでいいのだ


ただ
その気持ちよさは
他人からの判断でできあがっているので
そこに気持ちよさをいつまでも求め続けると
いつでも他人からの「よい」評価が必要になるために
とっても疲れるし
一喜一憂しなくてはいけないのだ


友達の3歳になる子どもが
「ねえ、この服、かわいいでしょ?」と
大人の会話に割り込んで聞いてきた
自分に関心を持たない大人にやきもきしたみたいだ
苦笑いしながら
「うん、かわいいね」というと
当然、という顔でブスッと無表情だったそうだ


誰がどう思っていようと
私自身は素晴らしい、

そんな風に思えたら
本当に素敵だね


そんな風に
大人になっても
周りの価値判断を
必要としている人もいる
私もそうだったし


ただいえるのは
周りは思ったほど
自分に関心は無いということ

なぜなら
自分だけでも完結した世界を実現できるからだ


他人が必要ではないからだ

もちろん愛する家族がいればいい


そういう意味じゃなくて
他人の評価
世間に認められるとか
特定の誰かに認められるとか
見返すとか
ギャフンといわせるとか
不特定多数に すごいと思われたいとか

そういう風な意味で
他人は必要ないのだ


だから…
私も他人に関心は無い

誰が成功しようと
誰が挫折しようと

どーでもいい

ただ友達や
愛する家族がそういうときには
一緒に喜んだり
支えたりしたい

それだけだ


鏡に映った自分にメイクしたってしょうがない


まあでもそのようなことで
快感や気持ちよさを得ているうちは
波が激しく
被害者であることを容易に選ぶと思う



だけど
自分自身が自分をどう思うか
または
自分自身が自分の気持ちいいことを
バシッとみつけて
それをそのときそのとき
満たしていっていたならば
きっと
それは波の無い
安定した気持ちよさ、心地よさ

なんじゃないかなあ



思うけど

数字を追うような会社にいながら
自分の中のゴールを
「自分の中の満足」というものにおいて
会社の目標とする数字を達成できないっていう感じ…

うーん
どうなの?


コレ使ってよかったのよ
あなたの言うこと聞いてこれしたらすごくよかったのよ
とかね
言われりゃ嬉しいけど
私自身が心からいいと思っていることを
アドバイスしてるわけじゃない

だからこそ
なんだか喜びきれないの

喜んでもらえて嬉しい
けれども
私は複雑だ

ああ、やっぱりこの化粧品っていいんだ…、とかやっぱりコレするといいんだ…とか
一歩置いて そう思う
(自分が肌に合わなくて使えないからね…)


そこにはなんか意味があるかい?

会社の目的は私のようなずぼらでもいいような客を増やすことじゃなく
もっとお手入れ熱心なお客さんをたくさん増やすことだもんね

ここがずれてるから
変なんだ


もちろん
「何だかわからないうちに目標達成しちゃってる現実」を創るのはきっとできる

でも
それが私の楽しむゲームじゃない
それが達成したって
本当に…ごめんなさい
嬉しくない
どーでもいいの
私の嬉しさはそこに無い
「これで周りに責められない」と安心する材料を手に入れたってだけの話

…あら、やっぱ
改めてどうなんだ?

さて豊かさを身に着けている(はずの)私だけど
やっぱり次のめどがたたんと辞めるっていえないし
保育園の移動の時期でなおさらに退職に制限が…

激戦必至の人気保育園に入園希望なので
ううう

あ、あれ?
ドラマ?


そうだった
私が何か見つけて
そこにフォーカスして
わっほいわっほい♪していけば
そんなことどーでも何とかなるんだった…

たまにドラマに呑まれてしまう
ハハハ
外的環境は私が瞬間に創るものだったわ


だいたいやりたいこと
わかってきたけど
まだあと一歩

多分わかったら
思いのほか全部つながっちゃうんだろうな