いじめについてとか 長文 | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

常に物事には
反対の力が必ずあることがわかった


だからこそ
均衡が取れている

それが二元性


いじめる側
いじめられる側


私は中学時代
酷いいじめにあったが
それ以来
いじめられることはない

いじめられる側は
反応によっては

いじめる力を支えて
さらに膨らませる力がある

それはなんなのだろう?

相手がもっと
いじめたくなる気持ちになる


いじめられる側が悪いとかどうとかって話じゃない

これは「力」の話


子どもの世界って難しいね

大人同士のいじめってのもあるけどさ


20歳のとき
私の上司の不配慮のせいで
無視されたことがあったが
絶対にいじめられなかった

私は私のままで
私を保った

つっぱった

そしてやるべきことをした
そうしているうちに立場は変わり
いつのまにか
私のほうの立場が尊重されるようになっていた
仕事についても認められ
その悪意を持った張本人がいつの間にか
嫌われ者になっていた

私は無視こそせず
普通に仲良くした
最後には嫌いでもなくなっていた
あ、そういえばその人
それから10年後に
訪問介護で うちのおばあちゃんの世話までしてくれた
これもへんな縁だ



やはり
強くあれば
自分に自信を持っていれば
いいのだとわかる

しかし
子どもは自信がもてない
他人に非難される
その資格が自分にあると思い込んでしまったりする

または
理不尽と思いながらも
その人たちが
いい人だった過去も知っているために
丸々と相手を否定できず
自分が原因がどこかにあるのだと思い込む

いじめられると
自分を保つのが難しくなるのだ

子どもはハードだ
いじめられながら
自分をたもち
貫けるなんて

まず難しい

だいたい自分を守る世界が
家族と学校しかない

それ以外の
幼馴染とか
従姉妹の子達とか
とにかく自分を肯定できる世界をさらに持っていれば
気持ちを切り替えて強く持っていけるきっかけはたくさんあるだろう


あ、話が変わった

そうでなくて
結局
自分を保てなくなった子どもたちは
否定されるままに否定されて
それでも。それを拒む尊厳がちゃんと内側に存在して

だからこそ
すごい葛藤が生まれる
否定を受け入れるごとに
葛藤はどんどんどんどん
膨らむ

その葛藤を吸い取って
さらに
いじめる側がパワーアップしていくのでは?

こわいね


いじめって本当に
今もきっとたくさんあるんだろうね

山田詠美の小説で
いじめの話があった
あの話は
周りの子どもたちを
見下すという形で
心の中でお墓に入れて
決着をつけたのだ
相手にしない


相手のパワーはみるみる奪われた

見下さなくてもね
きっと解決できる

あれはひとつの話だからね

自分を保つって本当に
こどもには 
難しいな

もしもね
自分の子どもが
にっちもさっちもいかない
そんな真っ黒な渦に巻き込まれたら
私は子どもを連れて
子どもが自分を表現できる場所に
自分を肯定できる場所に
住み替えるかもしれない
自分に戻り
冷静になれば
そのいじめの意味がきっと「意味が無い」コトに気付くからだ

しかしそんなことは起きないと思うけどね


いじめを起こす子ども
いじめられる子ども

今、最近は
私の目の前に映らない世界だけど
きっと
今まざまざと体験している人たちがいる

それぞれの望む体験とはいえ
いじめって人間の汚い面を映し出しすぎだ

「あなたの奥さん、昔いじめしてたんですよ
私の頭を靴で蹴ってたんですよ」

そんなことをチクらなくても
人をいじめた過去はその人自身のの中で消えない
十字架は自分で背負うもの

自分の子どもがいじめられたり
自分がいじめられたり
そのときに内側の葛藤が見えるはず

そのときに十字架を降ろせると思うけど


私も同じ
あの体験はきっとあの人たちとの打ち合わせ上の体験なんだろうね

まったくもって酷い体験だったけど