朝
開いたツイッターに
まさに私が感じていたことが書いてあった
勝手に引用…
老子は「美しいといえばそこに醜さがでて善を出せばそこに不善がでてくる」という。
盤珪さんは「悪を嫌うを善じゃと思う 嫌う心が悪じゃもの」と詠う
まさにその通りだ
お祈りでも
「○○がよくなりますように」ってのは
○○がなくて不足しているといっているようなものだ
前に書いた
儀式についてもそうだ
何かのヒーリングメソッドとして
石とか火とか布とか曼荼羅とか
何かを使わないといけないというのも
何かのマントラを唱えたりなんだりってのも
それがないと
完璧じゃないってことになる
変だ変すぎる
古臭い 古代か
なんか変だ
何かが必ず必要だってことは
逆に何かが不足してるってコト
すべてそこに「ある」のに
何か一方にフォーカスする必要なんて無い
(遊びならいいけどさ)
私の中の世界では
この二元性に基づく論理が
すでに不要になりつつある
願いはすでにかなっている
すべてかなっている
ってのが
わかった
体でわかった
この感覚って
言葉で理解できん
説明もできない
すべてはもう丸々
かなっていて
完璧なんだね
わーい
このブログも
もう終わりのときがきたみたいだ
閉じるってどうするんだろう
残すのも一つだけど…
もうここで見たいものも無いや~
お気に入り登録させていただいていて定期的に覗かせてもらっていた素敵なブログは
外からでも読ませてもらうこともできるもんね
また
書くならばあらたにブログ作るもんね
境目をひとつ越えたようです
私にもすべての人にも
同じように能力がある
何を用いなくても
何をしなくても
何かを加えなくても
完璧だ
その内部のバランスによって
個性があるんだろうけどね
ひとりごとブログ…
これにて終了