違和感からの脱出 | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

天使やマスターや精霊たちや
宇宙の存在を神聖化しすぎてんのか

この世の「恐れ」とか「不信」とか

そういった状態を
「そうあってはならない」というような感じで

無理やり引っ張っているような

なんだかそんな感じのことに
ちょー違和感


私こそは
高次元の存在と通じ
皆様の魂を解放するお手伝いをしています、
お祈りをしましょう
感謝、愛!!
みたいな

そんな力の入り方の人に

不気味さを覚える


これがずっと
私の中にあったこと

違和感

そこにフォーカスしてしまった私

だから気付いたんだけどさ


つまり
全部
ひっくるめて
あっていいことなんだってこと


あるがままに生きている人は力が抜けていて
素敵だよね



でも
その人は逆

私の感じた違和感

無理やり感

一方に偏り感

それだ


愛とか感謝にフォーカスしてよろしい

でもさ
「愛」とか
「感謝」の言葉の裏には
愛の欠乏と感謝できないこころを感じる


愛と感謝は
あって当然だから
「愛」とか「感謝」という「言葉にする必要すらない」っていうか

それを毎回言葉に表してる違和感だ

それだ!!!


言葉にする必要が無いほどに
愛と感謝は
自然と存在するものだ


愛が無いから
「愛」と書き
感謝が足りないから
「感謝」にフォーカスするみたい


ああ、変な感じの謎が解けた


足りない気がするから
あるといいと思って
書いちゃうのかな

それとも「感謝」「愛」教を
みんなに布教したいのかな

とにかく
謎が解けてよかった


たとえばさ
「食べたら排泄しよう!」みたいな
当たり前のこと
毎日毎日 誰かに言われたら
「…え?」って思うよね

あ、たとえが下手だわ

えーと

そこにすでに「ある」ものに
「あるの?ないの?」
なんて問わないよね

だって
あるんだも~ん

私は存在するの?しないの?って質問みたいだ


考え方だね

違和感のあるものに
フォーカスして発見できることも

たまにはあるもんだ

物事は多元的だ

でもさ
私はそのうちに
このあらゆる違和感がすべて感じなくなるくらいの洞察を自分で得ることができると思うんだ


そして完全に二元性の統合が起きると
きっと
さまざまなことを
言葉にしなくても良くなると思う

そんで
きっとこういう
スピリチュアルなことを
必要以外になーんも語らなくなる


善も悪も無い
愛も恐れも感謝も不信も
そこに「ある」のだ

どこにフォーカスするかは
その人次第で
そこに良し悪しは無い

でも
どこにもフォーカスせずにただ力を抜いて
全体をまるまる受け入れて
生きる方法もあるってことで

「私」はそうなりたいってこと
「私」はそれを望むってことが
よくわかった


見る必要が無いもんを見たわけじゃなくて
見るべくしてみて
そっから学んだってことだ

ああすっきりした