私は東京の人たちに
危機感を感じて欲しいと
思っている
なぜだろうか、と
思った
ひとつには
自分の意思で避難を選択できない無力な子どもたちのため
放射線の影響を大人よりもはるかに強く受ける子どもたちのため
子どもは選べない
親の選択に
子どもの運命はかかっている
そして
それ以外にも
自分自身を見つめるような
理由がある
私だって
健康的な食事がいいことだと知っているけれども
そうでない食事を摂ることが多かった
症状がでたり、数値に出ると、そこで初めて
「あ、それではいけなかった」とわかる
で、そこで健康改善を図る
なんとなく
悪いとわかっていながらも
目をそむける
行くほうがいいとわかっている道は
面倒な道だから
思い切らなくてはいけないから
目をそむけて
都合のよい信じたいものを信じる
同じ食事をしていても
健康な人もいるし~♪
今は別に元気だし~
とか
見たいものを見る
信じたいものを信じる
臭いものにはフタ
当たり前の
人間の防衛本能
変化や
改革を嫌い
「そのままの楽な道」を望む
私が今強く
こういう思いを抱くのは
きっと
それも意味がある
一回「事実(事象)」は
受け入れなければ
事態に対する対処はできない
「受け入れること」に
パワーがいる
拒否反応や
パニックもあるだろう
でもまず一回、針を振り切らなくては
きっと 判断できない
過剰に不安をあおるひとっているのかな?
意味ないよね
私はそんなつもりは一切ない
だから同じようにそういうひとは
私の世界に映らない
ただ
子どもたちや
気付いていない住民を守るために
淡々と事実を伝えて
広めようとする人ばかり
私はもしかしたら
そんなこと考えなくていいのに
考える
私は本来
私だけのために生きるのだから
(家族が元気で健康でいて欲しいのは
私がそれに幸せや平穏を感じるからだ。だから私が家族のために動いてるように見える行動も元を正せばすべて自分の心の平穏のためだ)
私が見ているのは
「私」という世界
この世界史史上初の原発の惨状に気付かない振りをしているのも私
都合のよいものしか見ていないのも私
危機感の麻痺があるのも私
国民に真実を伝えないこの国も
私の一部
毅然と国や東電に立ち向かう人たちも私の一部
情報を一人でも多くに広めようとがんばっている人も私の一部
…みんな
それぞれに役割を持ち
劇をしてるみたい
あ、そうか
ただの劇か…
でも
子どもたちがたくさん病気になるような…悲しい
劇の終わりかた は
やっぱり強く避けたいと思う
劇。。。
劇だな…