私は自分でない人と同じ家に暮らすのが苦手だ
親でも姉でも
相手に合わせるのが基本的に苦痛であり
なにかをやりたくないタイミングで強制でやらされたり
それはきっと必要性を理解しようとしなかったせいも多分にあるけど・・・
そして 望みはいつも想定の範囲未満でのみしか叶わず 素晴らしいサプライズや
思わぬ奇跡的な喜びはそこには存在しなかった
いつも空気はそこにこもっている
父が他人を家に入れることを嫌っている男だったため
ほぼ、家族しかうちには入らなかった
家ってのがその人間にとって
それからにいかに影響するかってことだね~
あ、
でも
同じ家に住むにしても
恋愛中の彼氏は別 大丈夫!!
彼氏は私の趣味となり生きがいとなり
恋愛中は全てが喜びにつながり
だからこそむしろいい
で、家族。
わたしの作った新しい家族についてはどうか?
だんなと子供
だんなは一緒にいるのが
やっぱり苦痛なときがある![]()
私のエンパスぶりがそうさせているのだろう
見たいテレビの番組をだんなにゆずり無意識に我慢していたり
だんなの食べたいものを優先して買って、自分の食べたいものを買うのを無意識に我慢していたり
イヤだと思っていても
無意識にやってしまう・・・
相手の望みをかなえようとしてしまう
考えてることを先読みしたり心の動きを読んで し・ま・う
あと
何より苦痛なのが
だんなが機嫌の悪いとき、疲れてるとき、物に八つ当たりしてるときの様子を
私の前で見せること![]()
これって、もしかしたら家族なら当然だ
だけどそれが
私には難しいの
悪いときがあって、いいときがある、ということが受け入れがたい
悪いとき、を見たくない
悪いとき、を存在させたくない
人生の面白くない部分とか、嫌なことととかを たまにかき集めたように愚痴り
人生に希望がない、というようなことを平気で言い、ため息をつくときは
「この男と離婚したい」と本気で思う
でもだんなは次の日にはケロッとして
そんな彼ではなくなっている
そのパターンを今までに何回も見ていても
やはり「イヤ!!!」
悪いときがあって いいときがある
ってのはやっぱ 受け入れるのが難しい
悪いときなんてない って思えないか?
私は悪いときが多かったけど
人生の途中から悪いときの自分の様子を家族や周りに見せないようにしてる
自分は悪いときを人に見せてはいけないと思っている
だから
なおさら相手のネガティブも そのさらしまくる心がけも イヤなんだ
弱ってるときは助ける
それは当然だけど
その表現方法が嫌いなんだろう
本質的に理解して相手を真に愛してれば(そんで、自分にも余裕があれば)
そんな表現方法しか取れないだんなにもやさしく出来るんだろうね
私も自然と大人になれるだろうか?
意地を張り プライドを振りかざし 時として相手をも傷つけるような表現や愚痴で
自分自身が弱っていることを表現することを
何とも思わないほどに
・・・もう少しかかりそうだな~