現実の状態を作っているのは、その周りにある人の意識なんだと、
実感した出来事があった。
それは、だんなの車の鍵の話である。
うちの父の勤めている会社が車検を安くしてくれるというので
だんなの車をそこに車検にだすことになった。
すごく安くしてくれたのだが
安いがばっかりに、だんなはなんとなく「大丈夫なんだろうか?」と逆に不安そうな感じもあった。
私は、めずらしくうちの親が役立った。よかったなぁ。なんて思っていた。
ところが、車検後、だんなの車の鍵の抜けが悪くなって返ってきた。
父はもちろん、何もしてない。
しかしだんなは「おっかしい~な。車検で変にしたんだな、なんか」
なんて、いつまでもしつこく言われたので
「じゃ、お父さんに言って直してもらおう。お父さんだって、自分のとこに車検に出したせいで
車の調子がおかしくなった、なんて思われていたくないだろうし」
と、提案したら、苦い顔で
「いいよ。もしかしたら、キーホルダー多くしたせいかもしれないから…」
なんていって、しばらく鍵を抜くのに苦労しながらやっていた。
私はその話を聞くたびに「まだ、心のどこかで父のせいだと思っているんだろうか?」と
モヤモヤしたものだ。
また、同時に、自分の親のせい=自分のせい、というように不安にも感じて、解決策をしらべたり
なんとかしなくては、と思っていた。
それで。。。
半年以上たった。
先月の末に、
「鍵なおったんだよ。そういえば!」
なんてだんなが思いだしたように報告してきた。
聞けば、一週間くらい前からスンナリ抜けるようになったとか。
う~ん。
これは私のとらわれた心が抜け出したことから解決したようにしか思えないのだ。
父のことを馬鹿にされてる気持ち、私は知らず知らず、それを作り出してしまっていたようだ。
そんなもの抱く必要も無かった。
でも勝手にそんな気がしていた。だんなが自分の親を見下してる気がしていた。
だんなは「できた親」を持っている。
そのことに対する劣等感。
実体は無い。
だんなの「ちょっとした言動」を自分の妄想、被害者意識と結びつけて解釈して
自分や親やだんなに意味も無い憎しみや嫌悪を感じていたのかもしれない。
私の中からその妄想がスポッと抜けたとき、
鍵も抜けたんじゃないかな~、と思う。
本当、気にしていたから
良かったな。
車のシリンダー交換、高いんだもん![]()
先月のシータヒーリングとレイキのアチューメントは
そのぐらい非常に大きな転機になったのだ![]()