「水は100°で沸騰する。」のような証明がされていないのがコロナ。
そして、今、世の中に溢れているコロナに関する情報は、どれも不確かで、
その結末は人が恐れる「死」や「社会的抹殺」までに繋がっていると信じられている。
ハッキリ分からないから不安になってる。
で、
この情報の捉え方は、人によって様々で、コロナに対する恐怖や不安の度合いは、
実はグラデーションの様に違っている。
当然、コロナ対策に対する概念もグラデーションの様に捉え方は変わってくる。
例えば、「マスク」の分かりやすい意識レベルの違い1,2,3。
1.マスクをしなくても平気な人。
2.マスクした方が安心な人。
3.ソーシャルディスタンスがあってもマスクが無いと怖い人。
今回、私の経営する会社の主要メンバー10名の中で、コロナ患者が出た。
(たまたま日を開けて出勤していたので、濃厚接触者は内輪からは出なかったのだけど。)
そこで、配慮(優しさ)の示し方も違ってくる事を発見!
目から鱗。
今考えれば当然の事だけど、渦中だとなかなか気がつけない。
誰も優しさが無いわけではなくって、ただの違い。
例えば、優しさの行為を選ぶ時、子供が転んだのを手で抱えてあげる人、頑張って立ってみてと応援の声
だけかける人みたいな感じの違い。どっちも同じくらいの愛情で接してる、ただ価値観や文化が違うだけ。
今回、マスク対応論争が起きた。
ある人はマスクをしないと怖い。
ソーシャルディスタンスが十分に取れている位置にいる人がマスクをしていなくても怖い。
でも、食事を人とするのは大丈夫。
ある人は、マスクしなくても怖く無い、でも配慮の形だとできる。
でも、頭が朦朧とするのでつけ続ける事は無理。なので、無意識でマスクを外している事がある。
「怖さ」や「嫌悪感」は個人の感情や感覚。それを持つのはオッケーだって、みんな持ってる。
ただ、その解決方法(自分の情報源を洗い直す、価値観を見つめ直して見る)が、出来ない時
目の前の人にする事は、協力してとお願いして、結果は期待しない事。
なぜなら価値観が違ったり、物理的に出来ない事もあるから。
でも、大人だから、譲歩し合って、お互いに最適な妥協ポイントを探したりする。
価値観がこれだけ違う中で、
優しさを見せる方も、受け取る方も=イコール
怖い人(時に弱い人と言われる)も、そうで無い人も=イコール
今回のマスク事件
他にも様々な人がいる。
・マスクしなくても自分は平気、でも周囲の為にして、体質的にそれが出来る人。
・相手はマスクをしなくても、自分がしておけば安心な人。
・外でソーシャルディスタンスがあればマスクなし大丈夫な人、ダメな人。
・マスクをして人とおしゃべりを弾ませるけど、一言も発しないけどマスクをしない人を見るのは怖いと思う人。
なので、それをシェアしてみるのが良いと思った。
へーそうなんだーって、単純に相手の違いを知るだけのシェア会。
- マスクをして?
- わかった。でも、体質的に出来ない時があるので、その時はごめんね。
- 協力してくれてありがとう。
- じゃあ、マスクしてない時は配慮してるってメッセージを送って?
- そうする様にするよ。ただ、私には他の事にも興味や欲求があるから、無意識に忘れちゃう時もあるから、その時はごめんね。
- 配慮してくれてありがとう。
- どうしてマスクしてくれないの?
- だって、ご飯を人と一緒に食べに行ってるじゃない。どうして、人前でご飯たべる人の前で、マスクを一定期間外すのがダメなのか分からない。。。
- それはね〜
ちなみに、マナーという物が発明されたんだよね。
困った時はそれを一つの指標にすればいいよ。くらいな緊急対応キット。
人なら誰しも目的としてる、楽しく暮らせる様にと出来たもの。
マナーを使って気分が悪くなるなんて。笑うわ!
でも、でも、コミュニケーションの方法が増えて、頭のやわらかい人が増えてきて、マナーなんて要らない時がやってくると思う。
心から好きな事をしていれば、そんな時代がやってくると思う。