こんにちわ。
あいこトリップです。
今日は8月9日長崎原爆の日です。
私が長崎に初めて行ったのは中学3年の時の修学旅行でした。
当時、体験学習という名で長崎で興味あるものを調べろと言われ、
私が調べたのはなぜか
長崎原爆でもなく、カステラでもなく、
皿うどんの麺、皿うどん巡りという内容でした。
修学旅行でまわった内容自体はあまり覚えておりませんが、
もう少しじっくり見学したいと思ったのは覚えています。
その時にみた長崎の景色、街並みの美しさに感銘を覚えました。
中国、ポルトガル、オランダとの貿易が盛んであった長崎は、
今もその名残が街並みに残されており、
それはそれは美しい景色です。
高校の時も家族で長崎へ一泊旅行をしました。
そして大学でのゼミ旅行も長崎でした。
当時大阪へいたのですが、だれが言い出したのか、
自分から提案したのかは覚えておりません。
長崎に行きたい、行こうとなったのですが、
選んでよかったと思っております。
グラバー園、平和公園、浦上天主堂、夜景などはもちろん、
当時軍艦島は上陸はできなかったので(今はどうかな?)軍艦島の
周りを船でぐるっと一周して眺めてたりしました。
タイへ行ってからも一時帰国の際に
家族と何度か長崎へ旅行で行っております。
そんな思い出がたくさんある長崎ですが、
75年前の今日原爆が投下されました。
米軍は当初は福岡の北九州 (かつての小倉)の八幡製鉄へ投下しようとしていましたが、
視界不良のため、目的地を長崎市の中心に変えたのだそうです。
今は長崎市の中心地は長崎大学がございますが、
当時は長崎の街の中心では三菱重工業長崎兵器大橋工場があり、
その名の通り兵器として魚雷を作っており、
学生の方々もみんな駆り出されて勉強などそっちのけで、
朝から晩まで兵器を作っていたというのです。
75年前の戦争を経験していない私は驚いたものです。
今こうして日本が平和な世界でいられるのは、
戦争を経験された方々が、
こういう経験は二度と次の世代にはさせまいと努力をされた結果なのだと思います。
先代からの教えはきちん次の世代に伝えたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
それではまた。
庭で穫れたピーマン。ピザのトッピングにして美味しく頂きました。
