こんばんわ![]()
あいこトリップです。
日本も今年で戦後76年になろうとしておりますが、
世界のどこかでは今も平和でない日を過ごしており、
アメリカと中国も対立を深めており、
日本もタイもどこの国の経済も不安定だし
どこの国がこの先どうなるかというのは何ともわからないものです。
なので私に出来ることは
今を楽しく一生懸命生きていくことかと改めて思います。
私にはおじいちゃんが二人おりました。
一人は山口のおじいちゃん、
もう一人は広島のおじいちゃんです。
二人とも戦争を経験しております。
山口のおじいちゃんは自ら志願して兵隊さんとなり、
インドネシアのとある島でアメリカと戦っておりました。
長男で家を継ぐのが絶対とされていた当時ですが、
山口を離れて東京の運輸省と呼ばれたところで働いていたおじいちゃんは、
田舎に戻るのが嫌で戦争に志願したとききました。
当時まだ19歳でした。
しかし、インドネシアの戦争でアメリカ軍兵士に銃で撃たれて負傷し、
戦争が終わるより早く日本へ戻ってきました。
銃弾の流れ弾で片目を失い、弾は目から下顎あたりを貫通しておりました。
手術はどこの病院で受けたのか分かりませんが、
当時は麻酔もなく素手で手術されたのだそうです。
戦争から戻り、田舎に結局戻ることになったおじいちゃんは
学校の先生をしたり、農業をしたりしながら生計を立て、
岩国で働いていたおばあちゃんと知り合い、
その後おばあちゃんと結婚しました。
広島のおじいちゃんは戦争当時満州でモールス信号の通信士をしておりました。
おじいちゃんは手先がとても器用で、電気に関する知識もあったので、
そうした部門に送られたのだそうです。
戦争が終わって無事日本へ帰り、当時の広島は原爆によりほとんど仕事もなかったので、
竹でかごを編んだり、魚商として広島の港でとれた魚を自転車で
広島の山間部で売ったりしながら生計を立て、
京都の紡績工場で働いていたおばあちゃんと知り合い、
その後おばあちゃんと結婚しました。
話を聞くだけでも当時まだ若かったおじいちゃん達が、
如何に過酷な戦時下で大変な時期を過ごしてきたのだと思いました。
私は戦争を体験していませんし、
当時の話はおじいちゃんや私の家族から聞いたものです。
もちろん先祖、親戚、家族との人間関係はいつの世も必ずしも
みんながみんな仲良く円満であるとは限りませんが、
それでもこうも思ったりするのです。
当時を彼らが必死に生きぬいたから、
今の私があると。
だから今を大切に生きたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
おやすみなさい。
植物の漲る生命力に元気をもらいます。
