妻が読んでいます その57。
『きのう何食べた』
よしながふみ 著
講談社

私は子供の頃、偏食が激しかった。食べるということに、あまり興味を抱かなかった。太宰治の『人間失格』に「食事の時刻を恐怖しました」といった一文があるが、昔の私も丁度似たような感覚で、食事という行為が面倒で面倒で、食べない私に無理に勧める家族とのやり取りが、毎日苦痛でさえあった。
「おまえが美味しく作ってやらんからや!」
父の心ない言葉に、母には随分と辛い思いをさせた。
食べない私は、当然ながら痩せ細っていた。魚屋の店頭に並んでいた長細いイワシを見た人から「河村さんとこの子ぉみたいや!」と例えられたりして、ご近所の笑いものにされるぐらい、とにかくガリガリの体型であった。
お陰で体も弱く、何度も病院のお世話にもなり、家族には全く心配のかけ通しであった。
そして、高校3年の時。
長崎の佐世保で、独り下宿生活を始めて間もない日曜日。下宿屋の賄いが休みなのをいいことに、面倒くさがり屋の私は一日ほとんど食事を摂らず、翌日の月曜日に登校。体育の時間にぶっ倒れた。
「メシを食わんと倒れる」
そう実感した私が、食べることに初めて積極的になったのは、その時からである。
積極的と言っても、始めは必要に迫られて、嫌々ながら無理やり押し込むように流し込むように食べていた私も、やがて食べ物の美味しさや食事の楽しさを実感出来るようになっていったつもりだった。しかし……、最近気づいたのだが、私は過去に食べた物を、忘れていることがよくある。特に我が家で食べた昨日の食べ物が、しっかりと記憶に残っていないことがままある。
その辺り……、私は未だに食に対する執着のなさを引き摺ってしまっているのかもしれない、と、ついつい考え込んだりしている。
さて昨夜の晩飯は、妻が初めて生魚から調理したという、鯖の味噌煮。上の写真にはないこの本の第6巻で紹介されていたのを参考に、料理したものとか。いや~、美味しかった! 恐らくは死ぬまで忘れることが出来ない、鯖の味噌煮になると思う。たぶん……。
『きのう何食べた』
よしながふみ 著
講談社

私は子供の頃、偏食が激しかった。食べるということに、あまり興味を抱かなかった。太宰治の『人間失格』に「食事の時刻を恐怖しました」といった一文があるが、昔の私も丁度似たような感覚で、食事という行為が面倒で面倒で、食べない私に無理に勧める家族とのやり取りが、毎日苦痛でさえあった。
「おまえが美味しく作ってやらんからや!」
父の心ない言葉に、母には随分と辛い思いをさせた。
食べない私は、当然ながら痩せ細っていた。魚屋の店頭に並んでいた長細いイワシを見た人から「河村さんとこの子ぉみたいや!」と例えられたりして、ご近所の笑いものにされるぐらい、とにかくガリガリの体型であった。
お陰で体も弱く、何度も病院のお世話にもなり、家族には全く心配のかけ通しであった。
そして、高校3年の時。
長崎の佐世保で、独り下宿生活を始めて間もない日曜日。下宿屋の賄いが休みなのをいいことに、面倒くさがり屋の私は一日ほとんど食事を摂らず、翌日の月曜日に登校。体育の時間にぶっ倒れた。
「メシを食わんと倒れる」
そう実感した私が、食べることに初めて積極的になったのは、その時からである。
積極的と言っても、始めは必要に迫られて、嫌々ながら無理やり押し込むように流し込むように食べていた私も、やがて食べ物の美味しさや食事の楽しさを実感出来るようになっていったつもりだった。しかし……、最近気づいたのだが、私は過去に食べた物を、忘れていることがよくある。特に我が家で食べた昨日の食べ物が、しっかりと記憶に残っていないことがままある。
その辺り……、私は未だに食に対する執着のなさを引き摺ってしまっているのかもしれない、と、ついつい考え込んだりしている。
さて昨夜の晩飯は、妻が初めて生魚から調理したという、鯖の味噌煮。上の写真にはないこの本の第6巻で紹介されていたのを参考に、料理したものとか。いや~、美味しかった! 恐らくは死ぬまで忘れることが出来ない、鯖の味噌煮になると思う。たぶん……。