リアルとシュミレーションの境界を好き勝手考察
早速行きます。
この4次元空間とシミュレーション世界と多世界とゲームの世界は自分にしたら全部同じことを言っているが、それを区別することができるのだろうか。
もしこの4次元空間がシミュレーションやゲームや仮想空間だとして、どうやってそうなってきたか
それは、以前あげた動画にも書いたことがありますが
この今の現代社会の50,000年後、その世界は果たしてリアルであるだろうか?
そこはVRによる世界に没入し、既に脳だけが浮いている状態かもしれないし、
体はほとんど機能しないで、戦争もなく、争い、エネルギーの奪い合い、いろいろな社会問題、それらがすべてネット上のネットの世界でやっているため問題が何もない
またはその空間は今のゲームの様に誰かが作った空間、
自分が思い描く通りになっている空間その世界に入っている時、でも、臨場感は下手すると今よりセンサーの数が増えており、五感以上に感じる世界
それははたしてリアルか?
もしくは医療やロボット技術が進み、足や臓器に至るまで全て作れるようになり、
それらが付け替え可能で、脳はもう既にコピーで記憶媒体にしかならず
その状態で永遠に生きられるとする。
その状態は果たしてリアルなのだろうか
そうなった時、自分自身がいろいろな姿形になりたくはならないだろうか
それは宗教や哲学やシミュレーション、多世界会釈、最先端物理学、最先端量子力学、最先端AI、最先端ロボット、いろいろなところで、我々は体に乗ってきている、体は借り物だ、この世とあの世で生ききする、生まれ変わる、AIと我々の境界は?
いろいろなところでなんとなく語り継がれているものなど、そのような仕組みがあるようなことを沢山聞いた事はあるではないでしょうか。
という事は、既にこの世界がリアルでない。
むしろリアルであるように作られているものかもしれないと示唆していますよね
イーロンマスクが言うようにこの世界は仮想世界でない可能性は0.0000001%(数字の正確性はイメージです🤣)だと言う。
そのイーロンマスクが世界一資産化になったと最近ニュースがあったような
それは何故か
その仕組みを知っているからこそ、自分の思い描く現実を好きなように行動なのか、思考なのか
よく言われる引き寄せを使ったものなのか(自分の中では全て同じ)
で、そのリアルであろうが、仮想世界であろうが、今この思考はなんとなく発生する。
そして人間の個性、また、これだけ価値観が違う人間が増えた理由。
それはシミュレーションの中で誘発的にミスや、バグのような、それこそ悪魔的なもものをあえて起こしているとすれば、
まさにシミュレーションを進めるために(宇宙膨張には必要)必要なものであり、因果が完全に決まっていれば、始まり終わり、はいちゃんちゃんで終わってしまう
宇宙の広がる(シュミレーション)為にはその様なバグやミス(多個性とか、262とか、確率分布とか、因果律とか、正規分布の式とか、全て自分には同じものとしか見えませんが🤣)が無いといけない
この世界は全て数式で表すことがかなりの分野ででき、
正規分布の式(262の法則はまさにその先を使わない簡易版)はほとんどのものに当てはまり。
この宇宙がシミュレーションもせず、宇宙膨張もせず、始まって終わるのであれば先ほど言ったミスやバグが必要なくならないように数式に入れ込んだものであるのではないか。
その数式の中にπと言う数字があるが、パイは無限に続くと今のところされているが、それがまさにシミュレーションがいつまでも続くように(宇宙膨張)組み込まれた係数ではないか
まぁこの辺はいつも言っていることなので、この辺にして
最初に戻り区別がどのようにすればできるのか、
元あった世界の同じように作りつつもより良い世界を作り上げるのが趣味レーションである。
それは既にバージョンアップしたより進化したリアルとも取れるのではないでしょうか
そこにやるかシミュレーション化を区別するよりも、今ここを楽しんでいくことの方がシミュレーション的には(宇宙包丁)必要なプログラムと言うべきか、人間と言うべきか、思考と言うべきか、その広がりに関わり関与する。そのことが言論マスクが巨万の富を得た1つの理由にならないだろうか
日本人の思考の中にはお金を持つことが悪みたいな。そんな風潮や考え方がかなり蔓延していると思う。
それはそれで悪いとことではないが、お金は持つことができないのではないか。
じゃあお金が欲しいとみんな言っているが、どうすれば良いのか
本当にお金が欲しいのか
家族との時間や友達との時間好きな趣味のことをしている時間、それらが欲しいがためにお金が欲しいのではないでしょうか。
では、このリアルと思っている世界我々が楽しむためには、もしくは人によっては苦しむために生まれてきた人もいるかもしれない。
それはなぜ苦しむために生まれてきたのか
不幸の自分がやりたかったから生まれてきていたとしたら
その不幸を乗り越えるために生まれてきたのか、それとも味わうために生まれてきたのか、それともそのままゲームオーバーになってしまうか。
それは自分で決めることができるのかもしれない。
この世は感じるためにできているとすると、
世界が広がるために全てが必要で、
リアルだろうとシミュレーションだろうと刑務の中であろうと。
結局は死んだら今いる世界からはいなくなるので、
じゃあどうするか
それだけではないでしょうか
自分はこのようなことを考えるのが好きなので
このつながりの関係性をさらに追求していくが、
結局は今やりたいことをやるのが1番良いので、
やりたいことだらけなので、全てやりつつ、その追求の必要はないとも思っているし、でも言葉で表していくことが、人に伝えられることになり、人に伝えたことで幸せな人が増えれば、
自分も幸せになれるし、自己承認欲求も満たされるし、自分の家族へもその幸せが電波してくればいいと思っている。
ですので、この記事を見たならぜひ幸せになってもらいたく。
その幸せはワクワクしたり、ドキドキしたりものすごいパワーに変わると思います。それが宇宙包丁のシュミレーションの世界へも影響するので、
自分の世界へもその幸せやわくわくが波動となって伝わってくるので、
一緒に楽しくワクワクしていきましょう。