ガザ空爆に関して | 量子力学、科学、哲学、を自己満、承認欲求、備忘録、として思い立った事を好きなだけメモしていくブログ

ガザ空爆に関して

ガザ空爆に関して、様々な感想や意見が寄せられ、また耳にしま
す。パレスチナ側に同情的なもの、イスラエルの攻撃を支持するも
の、中立的・評論家的な分析、等々、立場や価値観も様々です。
 戦争というのは、起こっている一つ一つが事実であり、その経験
や証言の一つ一つは重く受け止められるべきです。そして、加害者
に対する怒りと、被害者に対する同情も、人間として当然であり、
また必要なことです。
 しかし忘れてならないことは、その個々の事実や経験は断片的な
ものだということです。その背景には様々なレベルでの原因や条件
があり、時間的(「歴史的」というとすぐ数千年遡られてしまうの
で避けますが)な経緯と社会(国際)的な環境や認識が大きく作用
しています。なので、紛争に対してコメントや判断するためには、
その原因とメカニズムを、現象面・意識面で、全体的・構造的に捉
え、さらにそれぞれを掘り下げる必要があります。

 たとえば「イスラエル人の8割がガザへの空爆を支持している」
と報じられていることについて、考えてみます。

 まず「イスラエル人」とは誰を指すのでしょうか? イスラエル
に住む人々ということでしょうか? イスラエルの選挙権を持つ人
々ということでしょうか? イスラエルには、ユダヤ人以外に、イ
スラム教あるいはキリスト教を信じるアラブ人も少なからず暮らし
ています。ハマスのロケット弾でアラブ系の住民も被害を受けたと
いう報道もありました。市民権を制限されているとはいえ、彼らも
イスラエル人です。また、イスラエルに住んでなくても、イスラエ
ル人として選挙権を持つユダヤ人が世界中にいます。そんな疑問を
もたれることもなく“8割”という数字が一人歩きします。

 また別の視点から押さえてほしいことは、一般的なイスラエル人
(前述のことから矛盾する表現ですが・・・)が“ガザ”に対して
持つイメージがあります。彼らにとってガザは、テロリスト集団の
住む無法地帯であり、自分たちと同じ人間が住んでいるとは思って
いません。ガザに行ってきたなどと言うと、「よく無事に帰って来
れたね」という反応が普通です。敢えて言えば、東京の人に「釜ヶ
崎に行ってきた」みたいな感じでしょうか。
 つまり、差別や偏見が暴力を容認し、虐殺を引き起こすのです。
昨年3月、初めてエルサレムの「ホロコースト博物館」を見学しま
した。人々の中に差別や偏見を植え付け、暴力的政策を拡大してい
くプロパガンダに関して学習する場所でした。そういうメッセージ
を世界に発信している国が、現代のホロコーストと呼ばれるガザで
大虐殺をおこなっているのです。

 私たちは、個人的にも社会的にも、その憎悪や憤りがどこから来
るものなのか、何によってもたらされたものなのか、感情を揺さぶ
る情報ソースと共に、揺さぶられる感情のあり様についても、冷静
に問いかける必要があります。「客観的」という見方は内面に向け
られて重みが増します。

 次に時間的な流れを振り返ると見えてくるものがあります。シャ
ロン政権は2005年、西岸地区で“壁”や道路等を伴いつつ入植
地政策が拡充されている一方、一部の強硬な反対を押し切って、ガ
ザの入植地を撤退しました。それをハマスは、自分たちの闘争の成
果と宣伝し、2006年の選挙で勝利しました。その結果、国際社
会はハマス政権を嫌い、パレスチナサイドは混乱、分裂し、ハマス
の支配が続くガザはますます窮地に追い込まれています。
 イスラエル国内だけでなく、パレスチナ社会や国際社会の世論と
ムードのコントロールを含め、シャロン政権のシナリオ通りに推移
していると言えます。入植地がなくなりユダヤ人がいなくなったこ
とで、心置きなくガザを空爆することができます。
 当初、ガザからロケット弾を撃ち込んでいたのは、ハマスではな
い、ごく一部の過激派でした。しかし封鎖による欠乏や不満が極限
状況に達して、ハマスもついに正面切って参戦したところで、待っ
てましたとばかり、イスラエル軍が大規模な作戦を開始しました。
軍事力、情報力で圧倒し、実際の主導権を持ち続けていたイスラエ
ルに大義名分が与えられるよう、何年もかけて仕組まれたのは間違
いありません。

 このような暴力を助長し、戦争に導くメカニズムについて、パレ
スチナだけでなくイスラエル側でも、冷静な視点を持つ市民やNG
O・平和団体は見極めています。“苦”の側に立ち、その苦の原因
を根本的かつ構造的に追求し、あるべき共存の未来を描く想像力の
ある人々が、その可能性を訴えつつ、地道な努力の積み重ねや対外
的なアピールも行ってきました。そして大惨事が予想される政策に
対して警鐘を鳴らしてきました。
 そのような市民感覚、現場感覚を持ったNGOや市民団体の警告
や努力が踏みにじられ、“苦”への感性が“力”の側のプロパガン
ダに、人権が覇権に、負けたとき、国際社会の抑止力も効かず、ア
フガニスタンでもイラクでもレバノンでも、多くの人々の命が奪わ
れ、さらなる不安定がもたらされました。日本への原爆投下を含め
非人道的な攻撃は、仕組まれた憎悪が人権を否定することで成り立
ちます。

 圧倒的強者が被害者の立場を大義名分に、差別と偏見を利用し、
嘘と情報操作でたぶらかし、乱暴な正義を振りかざして土地と利権
を貪る「対テロ戦争」の文脈が、日米の次の政権に引き継がれない
よう、人権と平和の実現に向けた様々なレベルでの活動を積み重ね
ていきたいと思っています。

参考▽「テロとの戦い」の本当の対立軸
http://www.juko-in.or.jp/Message2005.htm#051009vsterr