※立川ART LCを卒業するまでは、
このままベビ待ちカテゴリで書かせていただきます
こんばんは

ご訪問ありがとうございます。
明日、通院日です。
心拍確認できるかな

いや、できる
絶対できる




絶対に続く言葉を決めるのは自分。
自分の体と赤ちゃんの命を信じて





待ってろ、よつばちゃん












さて、みなさんもきっと観ているであろう、
『隣の家族は青く見える』
いいドラマでしたよねぇ

不妊治療あるあると共に、
毎回毎回涙腺崩壊点があって、
夫婦で目を真っ赤にして観てきました。
最初は「え…」とドン引き言動が多かった
大ちゃん(松ケン)のお母さん(高畑淳子)が、
中盤からグッとくること言うんですよね。
泣かせられちゃったじゃないのぉ

…が、
前回の最後あたりから、夫が、
「観たくない!!!」
と言い出しまして

奈々ちゃん(深キョン)の流産シーンが
私に悪影響を与えるんじゃないかって、
気が気じゃない模様です。
私は1年半前に9週で流産しました。
「赤ちゃんに会える〜
」とルンルンで受けた

2回目の妊婦健診で、
「心拍が見えなくなっています」
と言われたときの衝撃とそのあとの動揺は、
決して忘れることはできないと思います。
自分のいる世界から音と色が消えたような。
まさにそんな感じでした。
フラフラーっと家に歩いて帰って、
倒れるようにベッドで泣き崩れ、
目を腫らした顔で帰ってきた夫を見て、
「ごめん、ごめん」と泣きじゃくりながら
ひたすら謝っていました。
先週の奈々ちゃんの気持ちがまさにそう。
痛いくらいによくわかります。
そして夫も大ちゃんの気持ちが
痛いくらいにわかったと言っていました。
つわりがひどかったので、
1ヶ月ほど休暇に入る予定だった直前で、
当時の上司のご厚意で
そのまま療養させてもらいました。
初期の流産は染色体の問題。
防ぎようがなかった、と言われても、
なかなか納得できず。
無理して働いたのがいけなかった、
すごく嫌なことがあってずっと気にしていたのが
いけなかった、
…と
答えのない原因探しばかりしていました。
流産の後は妊娠しやすい、
とネットで見つけ、
期待を込めて頑張ったもののカスリもせず。
「一度妊娠しているんだから、
体外受精をすればかなりの確率で妊娠できる
と思いますよ」
と、当時の主治医の先生に言われ、
決断するまで半年もかかりましたが、
立川へ引っ越してきたのをキッカケに、
立川ARTの扉をたたきました。
どうやって流産したことを乗り越えられたか。
明確な答えはないし、
まだ引きずっているところもあると思います。
ただ、
あのとき空に帰っていった命は、
「ちゃんと妊娠できる体なんだから、
もっと自信を持って!」
と教えに来てくれたんだと思っています。
そう思うことで、
また授かれるように頑張ろうと思えました。
私は高校生の頃からひどい生理痛に悩まされ、
大学生のときに通っていた
産婦人科の先生からは、
「もしかしたら妊娠しにくいかもね」
と言われていました。
どこかでそのときの言葉に囚われてしまって、
自分でネガティブな自己暗示を
ずーっとかけていたのかもしれません。
あのときの命は、
そんな私の思い込みを打ち消すために、
やってきてくれたのだと思っています。
それと、
仕事が忙しく、
夫ともケンカしがちな生活だったので、
「今のパパとママのところじゃ嫌だわー」
と伝えて帰ったのかもしれません。
あれから一年半。
「ここで子育てできたら最高だね」
と思える家に出会い、
昭和記念公園に歩いていける立川に引っ越し。
ずっと悩んでいた退職もスパッと決めて、
心に余裕ができた分、
夫にも自分にも優しくできるようになりました。
思えば、こうした環境が整うのを
空の上から待ってたんじゃないかなーと

「昭和記念公園でお花見したかったんだよ」
とでも思って宿ってくれたのかもしれません。
随分ゲンキンな子ですが、
夫と私の子どもだったら頷けます

だから、
絶対この子を元気に産んでみせる。
来年の今頃は、
夫がわんこのリードを引いて、
私がバギーを押して、


今度は、
ポジティブな自己暗示を毎日かけています。
「辛いときは夫婦一緒に辛い想いをすればいい」
大ちゃんのお母さんの言う通りです。
流産の辛い経験も、
不妊治療のモヤモヤや不安な気持ちも、
夫婦で分かち合ってきたからこそ、
私たちの元へやってきてくれた命を、
とてもとても愛おしく大切にできる。
まだ親になっていませんが、
これまでの辛い経験は、
そうした未来の自信をくれるためのものだと
勝手に強く信じています。
暗い話になっちゃいましたね

長文、失礼しました。
最後までお読みいただき、
ありがとうございます





赤ちゃんを望むすべての方が授かれますように
