住んでいる所が近所の猫の通り道になってるので、こっそり人にわからないところにカリコリを置いて猫がたまに来るのを楽しんでいるんだけど、昨年末、カリコリの臭いで辿ってきたのか、寒さと飢えで行き倒れそうになっている猫がきた。

とりあえずごはん(カリコリ等)をあげてみた。寒そうだったので家の中に入れようかと思ったのだが、首輪はつけてないけども、どこかの飼い猫かもしれないと思い、とりあえず軒先にダンボールにぬくぬくするようなものを入れて、いつでも入れるようにしておいて様子を見てみた。

毛並みはあまりよくなくて、目もなんだか見えにくいようで、寒いのか涙を流していた。
ダンボールハウスは気に入ったようで、中に入って寝るようになった。
朝晩ごはんを食べる以外は、ハウスに入ってくつろいでいるか、ひたすら寝ているようだった。
印象としては相当高齢な猫なのかなぁと言う感じだった。

ただひたすら、ごはんを食べては寝る、というのが半月ほど続いた。大丈夫なのかなぁ、と内心ドキドキして見守っていた。
あまり動かないので手を突っ込んで触ってみたりもした。うっすらと目を開けて、あんたか、と言うような感じでまた目を閉じる、そんな感じだった。
今思うと復活するためにひたすら体力をつけていたんだな、と思う。

そのうち段々起きている時間が増えたのか、帰宅すると玄関の前で待ってたりするようになった。
犬みたいに律儀だなぁ、でも、大分元気になったなぁ、と喜んでいたのだが、ある日どこにも姿が見えなくなった。

やっぱり飼い猫だったのかな、と思ったら朝方、五時前、

にゃおにゃお〇△◎◆※

等と訳のわからない子供のような猫のような声で大声でわめいているものがいる。
まさか・・・と思って出てみると、案の定その猫であった。

・・・・朝帰りかい(・_・;元気になったね。

高齢猫と思ってたその猫は、毛はフサフサになって、目は色まで違ってキランキラン輝いてて、年もずいぶん若く見えるようになっていた。

日々たくましく美しくなっていく猫を毎日見れる事がいつのまにか幸せだと思う自分がいた。
助かってくれてありがとう。

今でもその猫は毎日ごはんを食べに来るんだけども、寝るのはどこなのかちょっと把握出来なくなっている。野良なのか飼い猫なのかも未だに謎である。
人懐っこいし、爪を立てられたことも一度も無いので、飼い猫か、元飼い猫なのかなぁと思っている。
話す言葉もかなりわかる様子。
自宅とこちらを掛け持ちしてるのか、なんなのか。
でも、本当に元気になってよかった。
今日はなんのごはんかなぁと探る様子は目がキランキランしてて本当に可愛い。

何やら死にそうな感じで来た時は世捨て人のような目をしていて心配したけども、本人が生きようと必死に頑張ったんだなぁと感慨深い。
その日一日一日、命を繋ぐと言うことは尊い事だなぁと心から思った。

段々朝ごはんの呼び出しが早い時間になってるんだけども(((・・;)

生きてる事が当たり前で、その上で何かを生み出さなければ切り捨てられる世の中だけど、その日一日一日命を繋ぐだけでも本当に尊い事なのだ。
その上で何かを出来たなら奇跡みたいな事なんだ。
ちょっとうまくいかないからって不平不満を言わないで、今日一日生きられた事に感謝しなければならないんだ。
生きると言うことは最大の神秘なのだなぁ。
みんながシンプルな気持ちで生きられる世の中になるといいなぁ。