冬眠


A氏の結婚報道は

少なからず

社会の関心を引いたようでした。

入籍の事実を伏せていたからです。


何と言っても

ファンの方々に

支えられている仕事です。

結婚を約束した相手がいる事を

わざわざ

公言するメリットはありません。


今のようにSNSで

入籍を公表することも

当時は

ありませんでした。


しかし

わたしにとって最も重要だったのは

入籍していたことではなく 

(1年前から知っていたので)

お相手が一般女性である事でもなく

(これも知っていた)

お二人の馴れ初めでもなく

ただただ

Rolexの返却先が

潰えたという現実でした。


以前にも書きましたが

わたしはその頃

心臓外科で研修中でした。


受け持ちの患者様は

みなさん重症であった上

高難度の手術が

次々に控えていました。

患者様もわたしも命懸けでした。


ただの言い訳に過ぎない事は

重々承知しています。

それでも

その時はいっぱいいっぱいで

他のことを考える余裕が

なかったというのが

正直な心境です。


わたしの

脆弱なキャパシティーのせいで

100万円超のRolexは

銀行の貸金庫の中で

長期間眠り続けることに

なってしまったのです。


そして

その記憶は僅かずつ

わたしの意識の奥深くに

追いやられていきました。


貸金庫使用料の通知だけが

半年ごとに

わたしの記憶の片隅を

チクリと突き刺しました。


A氏の結婚報道から数年後

わたしも結婚しました。

夫は公務員で

付き合い始めて4年後の

結婚でした。


結婚に伴い

住み慣れた独身寮を出て

夫の住まいのある

葛飾区へと引越しました。


その際銀行に

住所変更を申し出なかった事は

誓って故意ではありません。


しかしその結果

わたしがRolexを思い出す

唯一の拠り所を

失う事になりました。


心から悔やんでいます。


ただ

今このブログを書くにあたり

この時の心境を

客観的に思い起こすと

潜在意識の何処かに

〝これでRolexの呪縛から

解放される〟

という悪魔の囁きが

全く聞こえなかったとは

言い切れません。


結婚後わたし達夫婦は

行政と両親に助けられ

仕事を続けながら

2人の子どもを育てました。


毎日毎日が

文字通り〝夢中〟でした。


わたしが

夢中になればなるほど

Rolexは貸金庫の中で

長く深く

眠り続けました。


それはまるで

冬眠でした。