夢の話と主婦の愚痴


「しばらく休むことにしました。」

と伝えてきた彼の声は

柔らかく

少しだけ湿って聞こえました。


それを聞いて

心底ホッとしましたが

わたしは

敢えて淡々と答えました。


「そうでしたか。

ゆっくりできるといいですね。」


しばらく電話で話してみると

仕事は休むことにしたけれど

受診には

まだ迷いがあるようでした。


今でこそ

〝体調不良〟という理由で

休養を公表する

芸能人の方はおられますが

20年前は

事情が違っていました。


少なからず

社会的に知られた人物が

精神科の敷居を跨ぐのは

まだ

ハードルの高いことだったのです。


この電話をきっかけに

わたしの外来診療が終わる頃

彼は時々

連絡してくるように

なりました。


ひと月に2〜3回

だったでしょうか。


自分の業界と無関係で

あるだけでなく

その世界にまるで関心を示さない

わたしとの

取り止めのない会話は

彼にとって

気が楽だったのでしょう。


最近読んだ本や

テレビで観た映画

夢の内容

最近何をして過ごしたか

新しい家電の使い心地

ペットをお風呂に入れて

とても大変だったこと

お子さまの成長

ご夫婦で

近所を散歩したことなど。

日常的な話題が

ほとんどでした。


それは一見

電話診療のようでもありましたが

決してそうではなく

わたしは友人として

できるだけ他愛の無い会話を

心掛けました。


もちろん

彼の話を聞くだけでなく

自分の話もよくしました。

主婦の立場で

愚痴を聞いてもらったことも

ありました。


こうした電話でのやり取りが

3ヶ月ほど続いた頃でしょうか

対話の中に時々

音楽に関連するものが

混ざるようになりました。


カーラジオからたまたま

流れてきた

最近の新しい曲のことや

CMソングのこと

楽器のことなど。


休養の効果が少しずつ

感じられました。


そこで

久しぶりに彼に

会ってみることにしました。