もう一つの世界
わたしは椅子の上に立って
天井の写真を
もう一度見ました。
不安定な回転椅子から
落ちないように
慎重に。
それはA4くらいのモノクロ写真で
引き伸ばしたせいか
ずいぶんと
ぼやけていました。
薄暗い階段に
4人のおじさまが
立ったり座ったりしていました。
彼らは当時20代でしたが
小二のわたしには
みんな
おじさまに見えました。
どんよりとした視線を
カメラに向け
どの顔にも笑顔はありません。
帽子の人
サングラスの人
アフロヘアの人
髭をたくわえた人。
衣装とも言えない
バラバラの服装。
唯一の統一感といえば
覇気のない眼差しだけでした。
華やかなアイドル達の
ポスターしか知らなかった
わたしにとって
モノクロで笑顔のない
その写真は
少なからずショックでした。
子どもだったわたしの眼には
この写真が
とても怖く映り
嫌悪感さえ感じました。
そもそも
アイドルに限らず
誰一人笑っていない写真なんて
それまで見たことが
ありませんでしたから。
写真そのものにも
衝撃を受けましたが
わたしが最もショックを受けたのは
写真ではありません。
憧れの女性である里見さんが
この中の誰かを
慕っているという事実でした。
覇気もなく
笑顔もなく
統一感もない
小さなモノクロ写真を
ベッドから眺めながら
里美さんは毎日
何を思っているのでしょう。
サラサラの長い髪と輝く笑顔で
わたしを魅了してきた里見さんが
この人達を
夜遅くまでを追いかけたり
写真を撮ったり
録音をしたり
握手をしたりする。
そんな里見さんの姿を
想像することは
その時のわたしには
できませんでしたし
したくもありませんでした。
そんな里見さんは
わたしの知っている
里見さんではない。
あの時の
泣きたくなるような気持ちは
大好きな里見さんの
想像もしなかった
別の一面を知ったことで
それまで手の届く場所に
いたはずの彼女が
自分の入れない別の世界へ
行ってしまったような
喪失感だったのかも
しれません。
そして
大好きな里見さんを
もう一つの世界へ
連れ去ってしまったのは
〝zero〟
だったのです。
わたしは
回転椅子から降りました。
言いようのない
乱れた気持ちを
ミィちゃんに気付かれぬよう
慎重に。