去年、「アイシテル~海容~」というドラマを良くみていました。
連ドラをあんまり見ない私としては、かなりの確率で見てたと思います。
その時期、仕事がヒマだったこともあるんですが。。。

あらすじを言ってしまうと、二組の家族がいます。
一方の家族の小学生の息子が、ある日近所のもう一方の家族の
幼稚園生の子供を殺してしまいます。
そこで小学生の子が、なぜ幼稚園生の子を殺してしまったのか。。。
という理由を探って行く形で物語は進んでいくのですが。。。

結論から言うと、殺した理由に感動させる意図もあったと思うんですが
私的にはそこはどうでもよくって(物語的に、ですよ。)
その二組の家族、加害者と被害者の家族達が
それぞれの息子に起こったことを乗り越えて行くという姿がすごく感動的でした。

私は今生の人生で「ゆるす」という事が課題なんじゃないかって
なんとなくモヤ~って思っていた事がありました。
その後、全くそんなことを相談したこともない人、
全然別の二人にあんたの人生の課題は「許し」だと言われました。

そして、去年の5月。
私は大好きだった人に裏切られて、すごく傷つき、そして相手を責めました。
本当に、その時に胸を刺されても痛くないってほど。
そこで、かなりうちひしがれていた時に目に飛び込んできた本が
「ゆるし」という本でした。
序文を書いていたのがダライ・ラマだったので、
より読んでみる気がしたのかもしれません。
その本を読んで、少しは「ゆるす」という事の意味を知った気がします。

戦争などの記事を読んでいると
よく「憎しみは憎しみしか産まない」という言葉を見かけます。
確かにそうです。
憎しみは何も産まない。
でも、自分が自分以上に大事に思っている存在を
ある日突然奪われてしまったら、どう思うでしょうか。

「アイシテル」というドラマにも、私のその時の状況にも
「加害者」と「被害者」がいます。
でも、人って本当に弱くて、皆が苦しみや悲しみを背負っている。
それが形になってしまった瞬間に「被害者」と「加害者」が産まれる。
被害者も加害者になる可能性があるんです。
自分が絶対間違いを犯さない、絶対に人を殺したりはしない、
なんて言い切れる人はいないはずなんです。
人を殺す、ってかなり究極な状況なので、そこを同列に論じるのは
いけないことなのかもしれませんが、
その「被害者」と「加害者」という所では一緒だと思います。
加害者と思われてる人達は、そうやって人を傷つけることで
声にならない声を発しているんです。
「もっと自分のことを分かって」「もっと自分に注目して」
「もっと自分を大切にして」。。。
彼らがした表面的な事だけに、捕われずに
本質的な部分で相手の痛みを知って許したとしたら
相手にとっても自分にとっても幸せな事ではないでしょうか。

その本の中に、印象的な一節がありました。
「ゆるしとは自分自身の強さを見つけること。」