ETV特集で以前放送されたのを知って、見たいと思っていたところ、
年末に再放送がありました。


永山則夫、4人を次々と射殺した連続殺人犯。
しかし、貧困と教育も十分に受けられないといった環境が
そうさせてしまった・・・みたいなことしか知らずに、この番組を
見たのですが、
思った以上に過酷な幼少~少年時代だったとわかりました。


この番組は、278日にわたって被告人の言葉を引き出し、
日本の鑑定史上例のない鑑定書とされる、
精神科医石川義博さんの鑑定書と永山が生い立ちから事件に至るまで
を語った100時間以上のテープをもとに作られています。


この鑑定書は、その後の裁判で生かされることはなく、
失望した石川さんは、これを最後に鑑定医を退きましたが、

近年、裁判の厳罰化が進む中で、罪を犯す人の心に迫る作業が
おざなりになっているのではないかと、
封印していたテープの存在を明らかにした・・・、というものです。


永山則夫は、網走で11人家族暮らし、両親と子供8人

(則夫は7番目の子供)と、長男の子供も一緒に暮らしていた。


父親は、博打で金を使い、家にもあまり寄りつかず、

母は、行商に出歩き、母に代って家事育児を担っていたのが

則夫が慕っていた長女(セツ姉さん)だった。

しかし、則夫が4歳の頃、セツ姉さんは精神病院に入院。

その後、母は、女の子3人だけを連れ、実家のある青森に帰り、

他の4人の子供を置き去りにした。
則夫も5歳で置き去りにされた。

子供たちは、凍てつく冬に残飯をあさるなどして生きるという
過酷な日々を送ることに。


しかし、則夫の母も、母親と再婚相手両方から暴行を受け、
10歳のときに置き去りにされた経験がある。
虐待の連鎖ともいえる行為で、不幸な生い立ちから、
子供を捨てることもたいしたことではなくなっていた。


その後、捨てられた子供たちも再び一緒に暮らすようになったが、
父は音信不通、長女は入院中、長男、二女、三女は、中学を卒業する
と逃げるように家を出て、中学1年の二男が一番年上になった。


その二男から、連日暴力を振るわれ、気絶するまで殴られる日々。
則夫が泣いていても、母親は理由もきかず、叱ったり殴ったり。


就職を機に上京、渋谷駅前の果物店に勤務するようになる。
熱心な働きぶりが評価され、入社から3ヶ月後には新しい支店の担当に
抜擢される。

しかし、半年後、果物店の社員が過去の永山の万引きの話を聞きつけ、
そのことをほのめかされ、荷物を置いたまま寮を飛び出すことに。

それから、事件を起こすまでの3年半の間、20か所近い職場を転々とし、

最初は熱心に働くものの、荷物を置いて飛び出す、という繰り返し。

不安と猜疑心、人間不信でいっぱいになり、
通い始めた定時制高校で委員長に選ばれるも、やはり逃げ出してしまう。


日雇いで働いて、父親を求める気持ちから年配の人とばかり話していた
時期もあったり、夜を過ごす場所がなく、防空壕の穴に新聞を敷いて
寝たことも。


自殺未遂も18回、
日本から逃げ出そうと外国船に逃げ込み、船内で自殺未遂、
送り返されて少年鑑別所に入れられたが、
無口で小柄な則夫は、リンチの的になり壮絶な仕打ちを受け続ける。


出所後、アメリカ軍横須賀基地に忍び込んだときに、ピストルを
見つけ、持ち去る。


その数日後の1968年10月、最初の殺人を犯してしまう。
寝る場所を探して、東京プリンスホテルの敷地内に忍び込んだところ、
ガードマンに捕まえられ発砲し、ガードマンは死亡。


その3日後、神社で野宿しようとしたところ、見周りの男性につかまえ
られ発砲、男性は死亡。

タクシー運転手を射殺し、現金を奪うこと2回。
そこで、捕まる。


鑑定書は、事件当時の永山について、
異常に深い絶望心理や自殺への思い、統御できない異常に高い
攻撃衝動の高まりがあって、自我の統合はほとんど解体に瀕しており、
精神病に近い精神状態であると分析。


幼少時からの過酷な体験で、脳が障害が受けた可能性、
当時は知られていなかった、PTSDと診断されていました。


「まず自分が愛されて初めて自立して、人を愛することをできるように
なる・・・」
と精神鑑定をした石川さんが語る場面も。


逮捕後は、懸命の勉学や自己分析を深めており、
人格は成熟と統合の途上にあると診断。


このの石川鑑定は、PTSDと呼ばれる視点から被告人を分析した 
日本で最初の鑑定書となりました。


しかし、判決では石川鑑定を否定し、死刑判決を下します。
永山自身もこの石川鑑定を否定。
永山本人からの否定には、石川さんもショックを受け、
鑑定医を辞めて、患者の治療に専念する道を選びます。


永山は、逮捕されてから28年間獄中で勉強を続け、
自己の生い立ちをもとに小説を発表し、
その印税を遺族に送り続けたほか、


兄弟の誰一人寄り付かなかった晩年の母と長女にも
印税から仕送りを続けました。


1997年、死刑執行。
死刑執行後、独房には、石川さんの鑑定書が残され、
中には線を引いたり、しるしをつけ、何度も読み返したことが
うかがえるものでした。


これを石川さんが、受け取り感慨深げに開くところは、
心を打たれました。
長く重い年月を経て、意味があったことを知る、
それでも鑑定医を辞めたことに悔いはないと語るシーンが
印象的でした。


番組最後には、厳罰化の傾向の中で、加害者の心理、背景、
理由というものにちゃんと迫れているのか、といった問いかけが
なされます。


非常に濃厚で、考えさせられる、そういう意味で
とてもいい番組だったと思います。