「生かされている意味」
何かに生かされていると思うことがある。
小学低学年で、鍵っ子の僕が河川敷で遊んでいて
川に落ちて流された時も
予備校生だった僕が裏路地の道路を横断していて
「101回目のプロポーズ」よろしく大型トラックが鼻先で止まった時も
目を開けた時、僕は生きていた。
その後、東京に出て、一端の社会人となり
生かされているという自覚もなしに
何のために生まれたのか何て、キザに悩んだりして
当時、巷で流行っていた尾崎豊の歌う「15の夜」じゃないけれど
盗難ではなく5年ローンでようやく手に入れたバイクで国道を走っていたら
ファミレスから唐突に出てきた車に跳ね飛ばされた。
身体が弧を描くように宙を舞い、アスファルトに叩きつけられた後で
目をそっと開けると、そこには青い空があった。
流れる雲を見つめ、救急車のサイレンを聞きながら
間抜けな僕は、その時、ようやく気が付いたのだった。
僕たちは死ぬためにではなく
生きるために生まれてきたのだと
