PR革命 -PR業界から離れたオトコのアタマの中- -16ページ目

7つの視点で、ここ数日の振り返り

震災から一週間。


自宅勤務の日もあり、web(特にtwitterやfacebook)を眺めている時間も
長かった。

今回の件でいろいろ感じたこともあるので、書き残しておこうかと。

ただ、あくまでも僕が把握できる範囲、特に身の回りで起きていたことや
僕がweb上で見ていたようなことを中心に。




①代替手段の必要性(交通)
千駄ヶ谷に勤め、三軒茶屋に住む僕も、震災当日の帰り道は歩くことになった。
これまで電車・バスを利用することで不自由のない通勤をしていたが、
電車は完全にストップ。バスも混雑・大渋滞によって乗ることができなかった。

⇒今週、自転車を購入。多少疲れはするものの、歩くよりも行動範囲が広がった。
 まだしばらく停電の可能性もあり、電車もどうなるか分からないので、しばらくは
 極力自転車通勤になるかも。



②代替手段の必要性(通信)
特に震災当日、電話が完全につながらない状態に。
神奈川の実家・都内の祖父母となかなか連絡ができなかった。
ただ、父親はtwitterもfacebookも始めていたため、比較的早い段階で連絡を取ることができた。
電話以外の通信手段も確保しておくことが重要だと痛感。

⇒今回の件で、社内でもfacebookアカウント取得の推奨がされた。
 社内用のグループ(クローズド)もあり、ここ一週間はそちらでの連絡も頻繁。
 できれば、祖父母にも使ってもらうようにしたい。



③情報リテラシー(ガセネタの広がりについて)
今回は、本当に必要性を実感した。
twitterやfacebookを見ていると、ほんとか嘘か分からない情報が散乱。
でも、みんな軽いパニック状態で、かつ「大事な情報を広げなきゃ」という悪気のない
拡散行動によって、ガセネタが一気に広まっていた感じ。
同じ内容のものはメールでも実際に届いた。

大事なのは、コミュニケーションとか情報発信とかに関わっている人の間でも
広まっていた、ということ。冷静な判断力を失ってしまう環境だったんだと
後から振り返って感じる。かつ、普段あまりtwitterやfacebookに接しない人が
情報取得のためにアクセスが増えた、ということも影響しているんだと思う。



④情報リテラシー(情報取得について)
ここ数日、都内近郊在住の人たちの間では、原発についての話題が頻繁にされている状況。
無理もないけれど、その声の中には不正確・不十分だと思われるような情報を
基にしているものも数多く見られた。
もちろん、これは情報を発信するメディアにも責任はあると思う。
「通常の●●倍」なんて言われたら、不安になるのも当然。

計測された数値を出し、健康に影響を与えうる数値と比べてどうなのか? といった
冷静な報道が必要であったのは事実。

ただ、すべてを報道の責任にするのは間違っている。僕らはwebで調べることもできるはず。
その上で冷静な判断をしなければ、心理的なストレスは日々高まるばかり。

※ガイガーカウンターのUSTに多くのviewerが集まったりしていました。
 こういう情報に接するチャンスを作るのも自分自身で身につけた方がよいスキルだと思います。

とはいえ、公式発表されていることが全て真実とも限らないし、世の中に出ていない
情報がある可能性だって否定はできない。その上で行動を判断するのは自由。




⑤集団・群衆心理と無意識的なストレスフル状態での攻撃性。
僕が今回恐いと感じたのは、やっぱりこの部分。

「善意のガセネタ拡散」、「買占め」、「自粛」の強制、「不謹慎」の押し付け
そして、「それらに伴う批判的な言論・行動」。

大きく分類すると、この5つかな?

「善意のガセネタ拡散」については、上でも簡単に触れてることだけど、
本人に悪気がないんだから責めても仕方ない。
どさくさに紛れてこんな情報を最初に作りだした人が責められることはあるかも
しれないけど。

自粛や不謹慎についても、既に書かれている方がいるので、僕が拙い文章で
あえて書く必要もないかと。



僕が最も恐怖を感じたのは、報道や他人の言動や行動に対して沸き起こる
批判的な言論や行動について。
そして、それとセットになる「感動」や「ヒーロー」を求める欲求。

買占め行動。

買占め行動に対する批判。

個人や企業に対して自粛を求める声。そして、その自粛の声に対する批判。

他人や企業に対する不謹慎の押し付け。そして、それに対する批判。

テレビ局に対する批判。

政府に対する批判。

東京電力に対する批判。

官房長官の極端な持ちあげ。

感動的な話の急速な広まり。

西日本への避難行動に対する批判。

ACに対する意味不明な批判。


これらの状況、ちょっと後ろに下がって見てみると、すごく恐ろしかった。


みんながやたらと攻撃的になっていた。

かと思うと、急にヒーローを持ち上げたり、「感動」を広げ合ったり。


正直、よく分からないような状況が数日続いた。


身の回りでこれほど影響のあるような状況に遭遇したことがなかったし、
個人が情報発信できるツールが増えたことも影響して可視化されただけなのかも
しれない。

でも本当に、暴動なんかが起きてもおかしくないような心理状態だったんじゃないか、と
思っていた。
(僕が知らないだけで、小さい喧嘩なんかは発生していたんじゃないか、と思う)



人を信じる気持ちや他人に対して寛容になる、ということがどれだけ難しく、
かつ重要なことか、ということを改めて認識させられた。
 ※人を信じることと、情報の正誤を判断することは別。




⑥情報発信力とそれに伴う責任について
今回、少しではあるが当事者になったことで、
ある特殊な状況下において個人の情報発信ツール・サービスが果たす役割が大きい、ということに
改めて気付いた。

それは、通信手段の代替としてだけではなく。

そこで、ある種の「民意」が形成される可能性がある、ということ。

「マスメディアの報道なんて全てうそだ!」といった論調が一気に広まる、といった
可能性だってある。
今回もそうだったが、一つのデマが特定企業に対するイメージを極端に下げる、という
こともある。
そして、誰もがその発端となる可能性を秘めている。

以前、僕が別のエントリで書いたけれど、
情報発信する力を持っている人は、その力の影響力(可能性)を意識し、
それに対する責任も自覚する必要があるんだと思う。


企業はダメでも、個人なら好き勝手、何を言っても、書いてもいいのか?
それに対して傷付く人がいてもいいのか?

僕自身、自分への強制や他人への強制なんていうのは嫌いだけど、
他の人に嫌な思いをさせたり、傷つけたりすることに対しては、嫌悪感を持つし
やめてもらいたいと強く思う。

何かしら情報発信をする人は、このあたりもうちょっと意識してもいいんじゃないかと。




なんだかネガティブな話が多いので、あとはポジティブなことを。。




⑦匿名でも生まれる心のつながり
時として、匿名的な掲示板スタイルの方が、人の温かみを感じることがある。
表面で心配してるだけじゃなく、おふざけっぽい中にも愛情を感じることがある。
自分の素性が割れていないからこそ、不謹慎なようなネタも絡めつつ、「人間らしさ」を
感じさせることがある。

これは、2chのあるスレッドのまとめを見て感じたこと。

匿名だからこそ生まれるコミュニケーションっていうのもあるんだな、ということを
改めて実感。

もちろん、実名的なサービス内だからこそ生まれる動きなんかもあったし、
実名でも匿名でもどっちでも、背景ひ人がいる以上、こういったことは起きるんだな
と嬉しい気持ちになった。




<まとめ>

いろいろと嫌な面も見えたけど、それでも、前を向いていこうとする
日本人の真面目さというか気質みたいなものは今回強く感じた。


そして、自分の力の無さも痛感した。

僕が資産を持っていたら、もっと素早く多くの義援金を送ったりできたのに。。

僕が企業を経営していたら、企業単位の動きができたのに。。

僕がスキルを持っていたら、いち早くボランティアに行けたのに。。


少しばかりの義援金を出す以外には、
テレビ画面越しに被災地の状況を見つめることしかできなかった。



復興まではまだまだ時間がかかる。

自分がこれからやれることを考えて、実行していく。
そして、忘れないこと。

できれば、コミュニケーションの力で少しでも助けになることを
していきたい、と考えています。

そして、必ず実行していきたいと思います。