いちユーザーとしての、ソーシャルメディアとの付き合い方と責任について | PR革命 -PR業界から離れたオトコのアタマの中-

いちユーザーとしての、ソーシャルメディアとの付き合い方と責任について

ここ最近、「ソーシャルメディア」というものに関する
言説や議論をweb上でも、身の回りでもよく見かける。

基本的には、あまりこういう流れに乗らずにいよう、と
思いながらも、先週末に起きたような話題も見ていて、
自分なりの見解は書いておこうかな、と。


ほんとに、先週の金曜から週末にかけてのtwitter上はすごかった。

すごいというか、集団心理の恐さみたいなものを実感した。



twitterでは、マーケティング関連に携わっている人が多いということもあり、
「ある事象」に対してマーケティング視点で指摘したり、意見を述べたりしている人も多くいた。

とはいえ、客観的に見ていると、そこに参加している限りは一ユーザーなわけで。
そして、その一ユーザーが、RT/QTしていくことで、どんどん火に油を注いでいた。

僕にはそう感じられた。

いくら客観的に語っていようとも、自分自身も火種になってるわけで。


これって、「ミイラとりがミイラになる」っていうことなのかな?
(もしかしたら、ちょっと違うかもしれないけど。)



今のtwitterって、「キャズムを超えた、超える」みたいな議論はあるけど、
なんだかんだで、まだまだ閉鎖的な空間。

その中で、ある種の集団心理的なものが働いていた、というのは否めない。

「担当している代理店はどこだー」みたいな話が、何の確証もないまま
ネタ的に広がったのとか、端的に状況を表している。

ここに加担している段階で、後からどうこう言うのはちょっと違うんじゃないか。
極端な話、もしかしたら、「風説の流布」に値するようなことなんじゃ?




もちろん、人によってどういう思考回路でその輪の中に入っていったかは
バラバラだと思う。


とりあえず面白半分でRTした人。

自分なりの見解を示しつつ、実は輪の中に入っていた人。




僕が問題だと思っていることは、
こういった人それぞれの参加の仕方に関してではない。
(もちろん、問題だと思う点もあるけれど)

本質的には、ソーシャル「メディア」といいつつ、元々は、個人が楽しむツールなわけで。
そこに対してどういうスタンスで参加するかは自由。

各個人のスタンスに対してどうこう言うなんてことは全くもってナンセンス。





今回の件で僕が一番気になったのは、
【一ユーザーとして、その炎の広がりに参加しつつ、それを後になって
 さも関係なかったかのように解説している】こと。

ここ数日、いろいろな意見があった。

でも、その意見のほとんどは“炎上”の対象となる企業に対するもの。
「企業としてのソーシャルメディアのとの付き合い方とは」とか、「対応がよかった」とか。



でも、ちょっと待って。

対象となる企業に関する意見はいいけど、
参加していた自分たちに関して、もうちょっと振り返った方がいいんじゃないの?

「企業」という枠組みとは関係無しに、個人として好き勝手言うのは自由なの?



この点に関しては、もちろんサービスを楽しむのは【自由】だと思う。
だって、そういうサービスだし。

個人で楽しめないなら、全く面白くない。

ただ、確かに自由なんだけど、なんかちょっと自由の意味が違う気もする。


僕としては、
なんか、都合よく【ユーザー】と【評論家】を使い分けてるのがすごく気になった。


【ユーザー】であるときの、自らが発信する情報に対する責任感が
若干足りてないんじゃないのかな?
特に、twitterは、名前とか出してる人も多いわけで。2chとは明らかにレイヤーが違う。


“炎上”に加担している段階で、後から第三者として「解説」するのってどうなの?



企業としてソーシャルメディアとどう付き合うか、付き合うべきか みたいな話はこれから
もっと議論していかなきゃいけない部分だけど、

でもその前に、いちユーザーとしてどう参加していくのか
ちゃんと考えた方がいいと思う。



人それぞれ、ある時は【ユーザー】。ある時は【企業内の担当者】。


自らが発信する情報が他の人に影響を及ぼす可能性があるのなら、
そういったこともちゃんと考慮に入れた上で、楽しく参加していくべきなんじゃないか。

これって、実社会でも同じことなわけで。



「いちユーザーで、個人としてなら、好き勝手してもいい」

こういった考えが浸透してしまうなら、
ソーシャルメディアの健全な発達なんてないんだろうと思う。




僕自身、まだまだわかっていないことだらけで、自分なりに思ったことを
つらつらと書いていますが、いろんな意見があると思っています。

ご意見あれば、ぜひ頂きたいです。
健全な議論がしたいと思っています。