花筏というのだそうだ。
桜並木の横を小川が流れている。舞い落ちた桜の花びらが川面を覆っている。いくつかの塊が筏のように流れていく。それを花筏というらしい、桜色がゆっくりと流れていく。どこへ流れていくのだろうか。毎日のようにこの道を歩いていても、始まりも終わりも知らない。きっとどこかへ流れていく。ただ、考えたことはなかった。
彼女のいない風景が目に映る。ただそれだけのこと、時計の針をたった一年戻すだけで、そこにはまだ彼女はいない。その時間に戻るだけ。理由をつけて、心を納得させようとしている自分に気づく。
ゆっくりと目を閉じて、ゆっくりと目を開く。
魔法はもう解けたのだろうか。呪文はもう聞こえない。耳をふさぐのは風の音。桜の花びらは思い出を乗せ静かに流れていく。
観月は下を向いて、彼女の足跡を探した。何もない。何も見えない。
柔らかな甘い香り。桜の匂いだろうか。彼女の好きな香水の香りのような。多分、ただの思い過ごし。
さらりとした風が彼女の香りを攫っていってしまう。
ああ、まだ彼女を愛している。
もうよそう。この場所にいるだけで、心が壊れてしまう。
観月は桜並木に背を向けて、ようやく歩き始めた。
雪が降っていた。
昨日までの暖かさで、桜の蕾も膨らみ始めてきた矢先のことだった。
三月も半ばを過ぎて春らしい装いが町に溢れていた。薄いコートの襟をかきあわせて駆けていく女性がいる。
観月はオープンカフェのテーブルについて、熱いコーヒーを両手で覆っていた。
彼のほかには誰もいない。
震える指をカップに押し付けて、コーヒーの温度を確かめていた。
粉雪が舞う。
吐く息が白い。
「これじゃ、桜も咲けなくなっちゃうよね」
後ろから柔らかな声が降りかかる。
振り向くと、寒そうに肩をすぼめた紗耶が立っていた。
「観月くん、震えてるよ」
観月の視線をかわして、紗耶はテーブルを回る。
鼻腔をくすぐる甘い香りを追うように振り返ると、珍しいジーンズ姿の紗耶がそこにいた。
